海後磋磯之介とは幕末の神官。桜田門外の変に関与した桜田十八士の一人である。
概要
文政11年(1828年)、那珂郡本米崎村の神官・海後大和の子として生まれる。諱は宗親。
神官を継ぐも出奔し、水戸城下で剣術や砲術を学んだ。後に大老襲撃の同志となる佐野竹之助と特に親しかったという。
安政の大獄に反発し、金子孫二郎や高橋多一郎の井伊直弼暗殺計画に加わる。脱藩後、3月3日の襲撃に加わり、指を一本切り落とされながら逃亡し、水戸藩領内に潜伏。その後越後に逃げたが、文久3年(1863年)水戸に戻り、翌元治元年(1864年)に起きた天狗党の乱にも参加した。
明治以後は茨城県庁や警視庁に勤め、明治36年(1903年)に死去。享年76。贈従六位。
明治に生き残った暗殺実行犯の一人として『春雪偉談』『潜居中覚書』等を事件の記録として残している。
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