第三次ソロモン海戦とは、太平洋戦争中にソロモン海で日本軍と連合軍の艦隊によって戦われた海戦である。
概要
ソロモン海はパプアニューギニアの東、オーストラリアの北東部の海域で、ソロモン海の東に位置するガダルカナル島を巡って熾烈な戦闘が繰り広げられた。
まず、第一次、第二次ソロモン海戦が行われた。そして、ガダルカナル島死守の為制海権を取り戻し、島に建設された米軍の飛行場を砲撃することを主な目的として日本海軍が戦艦比叡・霧島や空母隼鷹などを投入。ほぼ同規模のアメリカ・オーストラリアの連合艦隊と昭和17年(1942年)11月に戦火を交えたのが、第三次ソロモン海戦である。
半年ほど前のミッドウェー海戦で大敗北を喫した日本海軍も、この頃はまだ海戦を戦う余力があったのだ。
日本海軍が得意とした夜戦で軽巡洋艦アトランタを大破(のち自沈)、戦艦サウスダコタを中破させるなど米軍艦隊に損害を与えたが旗艦比叡と霧島を失い、開戦以来初めて戦艦が2隻も撃沈されるという屈辱を味わうことになる。
結局作戦は失敗に終わり、ガダルカナル島を奪還するという目的は達成されなかった。
その後島に残された日本軍守備隊に対する補給はことごとく絶たれ、将兵は飢餓に苦しんだことからガダルカナル島は「餓島」とも呼ばれることになった。
この戦いで日本海軍の潜水艦伊26に撃沈された米軽巡洋艦ジュノーが、マイクロソフトの創業者の一人ポール・アレン氏の探索チームによって2018年3月に発見され話題となった。
戦後70年以上が経過した今もまだ戦争の傷跡は南の海に残っているのである。
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