菊地毅とは、日本のプロレス界において今最も熱いプロレスラーであり、国民的プロレスユニット「TKG48」の会員番号6番手である。
「爆発!!」
概要
小中学校は一級下のクラスにいた斉藤彰俊とともにスイミングクラブに通っていた菊池は、大東文化大学のレスリング部に所属。1986年の全日本学生選手権にて100級優勝という実績を残す。
翌年、ジャンボ鶴田の紹介で全日本プロレスに入門すると、12月に小橋建太とともに仮デビューし、その3ヶ月後に正式なデビューを果たす。1990年に三沢光晴らが結成した超世代軍に加入後はジャンボ鶴田に対抗。旭日旗をあしらったタイツを履き、火の玉小僧の異名で知られるようになる。同時にそのやられっぷりも注目され、やられの美学とまで形容される様は鶴田の怪物性を引き出させるために欠かせない存在となった。
1992年には小橋とのタッグでアジアタッグ王座を獲得。この時の戴冠は地元の声援も味方し、『前座のタイトル』扱いされていた王座戦に熱狂の渦を巻き起こした。その4年後には渕正信を破って世界ジュニアヘビー級王座を獲得。
2000年のプロレスリング・ノア旗揚げにも参戦しており、小橋とのチーム・バーニングで活動する傍ら、2002年には同じNOAHの金丸義信とのタッグでIWGPジュニアタッグを獲得している。
秋山準との抗争が一段落すると、再び前座戦線へ。マイティ井上によると、無茶をするファイトスタイルからパンチドランカーの症状が出ているといい、心身面の不安も抱えていたようだ。
その後2009年12月末でフリー選手の契約満了によりNOAHを退団。
しかし、その後の菊池無双はこの瞬間から始まるのである…
菊池無双
その後の菊地は全日本プロレスでカズ・ハヤシの世界ジュニア王座に挑戦するだけにとどまらず、DRAGON GATEでスーパーストーカー・つよしとして参戦。”ハリウッド”ストーカー市川を一蹴すると、ユニオンプロレスではほぼ全試合に勢いで出場、文字通りユニオンジャックの活躍。マッスル最終回にてわずか1日で復帰を果たした高木三四郎と戦い、絶対に笑ってはいけない状況下での顔芸が参加選手にケツバットの嵐を巻き起こしたかと思えば、翌日のDDTで「熱い男」として乱入を果たす。NOSAWA論外15周年興行にもどさくさにまぎれて参戦し、FREEDOMSに登場したかと思えば全日本の興行へ…
このように、菊地は、フリー選手として縦横無尽の活躍を見せている。
DDTの高木大社長は、これを「菊地無双」と呼んだ。
その要因は、菊地だけが持つ「やられの美学」にある。
ちなみに2011年は"ハイブリッド菊地"で行くことを宣言。
"顔でプロレスができる男"永田裕志との顔芸対決は実現するのだろうか?
菊地毅(アシスト物流所属)
「爆発!!」
関連動画
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 1
- 200pt
- ページ番号: 4513130
- リビジョン番号: 3288228
- 編集内容についての説明/コメント: