菊地毅単語

キクチツヨシ

菊地毅とは、日本プロレス界において今最も熱いプロレスラーであり、民的プロレスユニットTKG48」の
会員番号6番手である。1964年11月21日生まれ、宮城県仙台市出身。

宮城から、宮城へ引っ越しの際はアシスト物流へexit

「爆発!!」exit

概要

中学校は一級下のクラスにいた斉藤俊とともにスイミングクラブに通っていた菊池は、
大東文化大学レスリング部に所属。1986年全日学生選手権にて100㎏級優勝という実績を残す。

翌年、ジャンボ鶴田の紹介で全日本プロレス入門すると、12月小橋建太とともに仮デビューし、その3ヶ後に正式なデビューを果たす。1990年三沢光晴らが結成した世代軍に加入後はジャンボ鶴田に対抗。旭日旗をあしらったタイツを履き、火の玉小僧の異名で知られるようになる。同時にそのやられっぷりも注され、やられの美学とまで形容される様は鶴田の怪物性を引き出させるために欠かせない存在となった。

1992年には小橋とのタッグアジアタッグ王座を獲得。この時の戴冠は地元の援も味方し、『前座のタイトル』扱いされていた王座戦に熱狂の渦を巻き起こした。その4年後には渕正信を破って世界ジュニアヘビー級王座を獲得。

2000年プロレスリング・ノア旗揚げにも参戦しており、小橋とのチームバーニングで活動する傍ら、2002年には同じNOAH金丸義信とのタッグIWGPジュニアタッグを獲得している。

秋山準との抗争が一段落すると、再び前座戦線へ。マイティ井上氏によると、をするファイトスタイルからパンチドラカーの症状が出ているといい、心身面の不安も抱えていたようだ。

その後2009年12月末でフリー選手の契約満了によりNOAHを退団。
しかし、その後の菊池無双はこの間から始まるのである…

菊池無双

その後の菊地全日本プロレスカズハヤシ世界ジュニア王座に挑戦するだけにとどまらず、DRAGON GATEスーパーストーカー・つよしとして参戦。”ハリウッドストーカー市川を一蹴すると、ユニオンプロレスではほぼ全試合に勢いで出場、文字通りユニオンジャックの活躍。マッスル最終回にてわずか1日で復帰を果たした高木三四郎と戦い、絶対に笑ってはいけない状況下での顔芸参加選手にケツバットを巻き起こしたかと思えば、翌日のDDTで「熱い男」として乱入を果たす。NOSAWA論外15周年行にもどさくさにまぎれて参戦し、FREEDOMSに登場したかと思えば全日本の行へ…

このように、菊地は、フリー選手として縦横尽の活躍を見せている。
DDT高木社長は、これを菊地無双と呼んだ。
その要因は、菊地だけが持つ「やられの美学」にある。

ちなみに2011年は"ハイブリッド菊地"で行くことを宣言。
"顔でプロレスができる男"永田志との顔芸対決は実現するのだろうか?

菊地毅(アシスト物流所属)exit

「爆発!!」exit

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菊地毅

1 ななしのよっしん
2010/12/24(金) 21:31:30 ID: olavWD8y7g
菊池じゃなくて菊地
2 ななしのよっしん
2011/01/04(火) 10:48:31 ID: mwl9btL95P
ノアを離れた第一発行が
今は亡き、どインディー
グレートプロレスリング(グレプロ)であったことも
忘れてはならない。
3 ななしのよっしん
2011/01/09(日) 14:58:25 ID: FillIW7z3k
RVDとやってたとは・・・。

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