アルフレッド・フィガロ(Alfredo Fígaro、1984年7月7日-)とは、ドミニカ共和国出身のプロ野球選手(投手)である。
無所属 | |
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アルフレッド・フィガロ Alfredo Figaro |
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基本情報 | |
国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | サマナ州 |
生年月日 | 1984年7月7日 |
身長 体重 |
183cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2006年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
タンパベイ・レイズに所属するフェルナンド・ロドニーは従兄弟。
2006年にデトロイト・タイガースと契約し、2009年にメジャーデビューするが、2年間で13試合、防御率6点台とメジャーでは結果を残せなかった。3Aでは2010年に先発として10勝を記録した。
2011年、オリックス・バファローズに入団。先発として開幕ローテション入りを果たすと、5月12日の福岡ソフトバンクホークス戦での初勝利から5連勝を飾る。6月15日の横浜ベイスターズ戦では、加賀繁から本塁打を放った(セ・パ交流戦での投手の本塁打は史上6人目)。その後は勝ち星が伸び悩み、シーズン終盤には抹消されたりリリーフに回ったりと起用法が一定しなかったが、最終的に24試合で8勝6敗、防御率3.42とそれなりの結果を残した。
2012年は金子千尋の戦線離脱で、なんと開幕投手を務める。しかし、開幕から5試合で援護点が2点しかないという惨憺たるムエンゴに見舞われ、あえなく開幕4連敗して二軍落ち。復帰後も援護の無さは相変わらずで、11試合に先発して2点以上の援護は僅か2試合、援護率1.57という泣くに泣けないムエンゴぶりだった。結局1勝も挙げることができず、0勝5敗、防御率3.09に終わる。
オフに、オリックスの契約保留者名簿に載ったまま(自由契約とならずに)ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約するという二重契約問題が発生した。ブルワーズとオリックス間で確認がなされ、チーム間での問題は1日で解決したが、肝心のフィガロ自身がアメリカでのプレイを希望し、契約交渉が難航化していた。結局2013年1月24日にオリックスがアジア球界でのプレイを数年間禁止するという条件で契約を断念を発表し、自由契約となった。
2013年1月31日に再びブルワーズとマイナー契約を交わし、メジャーに昇格。この年はメジャーとマイナーを行き来し、33試合に登板した。
2015年は韓国プロ野球の三星ライオンズに所属。13勝を挙げた。
2016年はロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結びマイナーリーグでプレーしたが、メジャー昇格どころかルーキーリーグまで落ちてしまう。
2017年は台湾プロ野球の統一ライオンズに所属したが、5勝9敗、防御率6.30と結果が出ず1年で退団。
2018年、2019年は故郷のドミニカのウィンターリーグに参加。2020年はニカラグアのウィンターリーグの新設球団・Tren del Norteに加入する。
先発でも常時140km/h台後半、平均150km/hを超えることもある速球を中心に、球威で押していく投球スタイル。変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップなどを投げるが、とにかくサインに首を振ってでも速球を投げたがるところがある。ムラっ気があり突然制球を乱すこともあるが、与四球率自体はそれほど高くない。
通算:7年 Year |
登板 G |
先発 GS |
完投 CG |
完封 SHO |
勝利 W |
敗戦 L |
セーブ SV |
ホールド HLD |
勝率 W-L% |
投球回 IP |
与四球 BB |
奪三振 SO |
失点 R |
自責点 ER |
防御率 ERA |
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MLB:4年 | 52 | 31 | 0 | 0 | 5 | 8 | 1 | 0 | .385 | 114.1 | 34 | 83 | 73 | 64 | 5.04 |
NPB:2年 | 25 | 25 | 0 | 0 | 8 | 11 | 0 | 0 | .421 | 187.2 | 55 | 127 | 72 | 69 | 3.31 |
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最終更新:2024/12/22(日) 15:00
最終更新:2024/12/22(日) 14:00
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