ジャッキー・ロビンソン(Jack Roosevelt Robinson、1919年1月31日-1972年10月24日)とは、アメリカ合衆国出身の元メジャーリーガー(内野手)である。
OB | |
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ジャッキー・ロビンソン Jackie Robinson |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ジョージア州 |
生年月日 | 1919年1月31日 |
没年月日 | 1972年10月24日 |
身長 体重 |
180cm 93kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1985年 |
引退 | 1956年 |
殿堂入り | 1962年 |
経歴 | |
選手歴 | |
メジャーリーガーテンプレート |
ジョージア州で産まれたが、父が蒸発したことによりカリフォルニア州に引越す。母親に養われていたが、生活費が稼げていなかったため生活保護を受けることになる。
フットボール、野球、バスケットボール、陸上をやって奨学金をもらい、高校に入学。様々な大学から推薦を受けたが、自宅から通える距離を理由にカリフォルニア大学ロサンゼルス校に進学した。名誉退学した後に第二次世界大戦に徴兵されたが、黒人だったために様々な行動を制限されたが、奮闘が評価されたため、黒人を許容する動きが広まるようになった。
1945年にニグロリーグのカンザスシティ・モナークスに入団したが、黒人差別があったため、ここでも行動が制限された。
1945年にブルックリン・ドジャース(後のロサンゼルス・ドジャース)の会長に見出され、8月23日にマイナー契約を結ぶ。
メジャーリーグ史上初の黒人選手(厳密にはMLBの現在の体制ができあがった1900年代以降のMLBが指される)としての戦いが始まり、1947年にメジャーに昇格。打率.297、12本塁打、48打点、29盗塁を記録し、この年から新設されたルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。1949年には首位打者と最多盗塁のタイトルを獲得した。
1950年シーズン終了後にはピッツバーグ・パイレーツのGMを務める。
1955年にはドジャース史上初のワールドシリーズ制覇に貢献。
1956年シーズン終了後にニューヨーク・ジャイアンツ(後のサンフランシスコ・ジャイアンツ)への移籍話が挙がるが、ドジャースにいられなくなるという理由で現役を引退した。
1962年に殿堂入りを果たし、1972年には背番号42がロサンゼルス・ドジャースの永久欠番となった。
糖尿病に苦しみ、1972年10月24日に死亡した。享年53歳。
1997年4月15日に背番号42が全球団の永久欠番となり、2004年以降4月15日の試合ではジャッキー・ロビンソン・デーと呼ばれるようになる。2007年にはケン・グリフィー・ジュニアの提案で、希望する選手が背番号42を着用して出場するようになり、2009年以降は選手全員が背番号42を着用して公式戦に出場するようになった[1]。
アフリカ系アメリカ人で黒人だったジャッキー・ロビンソンのMLBでの活躍は、その後の黒人と人種差別問題に影響を与えている。
2013年にはジャッキー・ロビンソンを題材にした映画「42 ~世界を変えた男~」が公開された。
通算:10年 Total |
試 合 G |
打 席 PA |
打 数 AB |
得 点 R |
安 打 H |
二 塁 打 2B |
三 塁 打 3B |
本 塁 打 HR |
打 点 RBI |
盗 塁 SB |
犠 打 SH |
犠 飛 SF |
四 球 BB |
死 球 HB |
三 振 SO |
併 殺 打 GDP |
打 率 AVG |
出 塁 率 OBP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
MLB | 1382 | 5802 | 4877 | 947 | 1518 | 673 | 54 | 137 | 734 | 197 | 104 | 9 | 740 | 72 | 291 | 113 | .311 | .409 |
タイトル | ||
---|---|---|
最多盗塁 | 2回 | 1947年、1949年 |
首位打者 | 1回 | 1949年 |
表彰 | ||
ルーキー・オブ・ザ・イヤー | - | 1947年 |
MVP | 1回 | 1949年 |
掲示板
5 ななしのよっしん
2023/04/19(水) 16:28:02 ID: DFuDDT97kY
日本では「死に」のため嫌う人の多い数字の42だが、彼の背番号42はメジャーでは全チームの永久欠番なため日本プロ野球でアメリカ出身者が好む数字となっている
6 ななしのよっしん
2023/06/04(日) 16:51:06 ID: CdPK6m0LCT
彼の長男ジャッキー・ロビンソン・ジュニアは24歳の若さで亡くなった。何度も挫折を味わい、麻薬常習者になるという誤った方向に進んでしまった。麻薬中毒から復帰後は、更生中の人たちを指導し様々な場所で講演するなど社会に薬物の危険を訴え続けた。
ジャッキーは黒人のためにスポーツやそれ以外の分野で影響を与えた。ジュニアも薬物追放運動に自分の道を見いだし、社会に少なからず影響を与えた。
7 ななしのよっしん
2023/10/05(木) 09:48:18 ID: KErIEnL6SN
ついでに兄ちゃんもオリンピック銀メダリストで、ジェシー・オーエンスと並び有色人種の
学生・アマチュアスポーツの参加に大きな足跡を残した人。
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最終更新:2024/05/06(月) 19:00
最終更新:2024/05/06(月) 19:00
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