『フランス革命の省察』(1790年)とは、エドマンド・バークの著書の一つである。
エドマンド・バークは名誉革命によって誕生したイギリスの「自由な国制」の熱烈な擁護者である。国王権力の伸長に加担する宮廷党(トーリー党)と敵対するホイッグ党の一員として、議会本来の自由の回復を唱える議員であった。「政党とは、全員の合意する特定の原則に基づき、共同の努力によって国民の利益を促進するために結合した人間の団体である」という定義はバークが「自由の国制」を国民の利益のために基礎づけ、党派的利益を否定するためであった。アメリカの独立要求に対しては、英国議会はもはやアメリカ植民地の意向を実質的に代表している状態にないことを根拠に、より宥和的な政策によって事態を収拾すべきだと説いた。
フランス革命が始まると英国世論は革命に対して好意的であり、英国流の制限君主政の実現を期待する声も少なくなかった。フランス革命の原理に従って英国国制を改革すべきだという主張も現れ始めた。バークは最初からこの革命を「奇怪な現象」、「恐るべき疫病」と見なし、「人間の権利」を原理とするこの革命が名誉革命と英国国制とは全く異なった前提に立つものであるという確信を強めていった。その現れが『フランス革命の省察』である。
バークにとって、人間は習慣の創造物であり、社会的動物として自らの生きる社会の先入観(prejudice)によって支配され、その中で過去、現在、未来の連続性を当然のものとして生活している。社会は人間にとってさながら一個の自然であり、自然状態は単なる野蛮な状態として自然権論のように人間の自由と権利の源泉とはならない。社会は「作られるもの」ではなく「成長するもの」であり、理性の役割はこの先入観の枠内で機能することにあるのであって、先入観を分析したり、解体することにはない。社会は慣習法の蓄積であり、名誉革命は古来の法と自由との保持ないし回復を目的とするものと解釈される。すべての権利は父祖から相続されたものであり、あくまで「イギリス人の権利」であって、「人間の権利」ではない。つまり自由や権利は歴史の中で成長してきたものであり、あくまで具体的なものと考えられる。従って「人間の権利」といった抽象的な理論に依拠した自由と権利の擁護といった議論そのものとは異質である。
「自由な国制」としての英国国制においてはこうした伝統と慣習に彩られた自由と権利の保持が課題であり、その限りにおいて専制政治は論外である。そこでは世襲制的権力体系が当然のように維持され、国王や貴族、民衆はそれぞれにその与えられた役割を果たすことが期待される。特に、バークも自身もその一員であった下院こそは「自由な国制」の実質的な担い手とされ、身分的地位に基づかない教養ある経験豊かなエリートたち(natural aristocracy)がリーダーシップを発揮するのが自然の姿と考えられる。民衆はあくまでも保護の対象であり、政治的平等であり、政治的平等と民主化は論外である。最後にこの国制を支えるのは宗教であり、この体制の聖化と再生産に大きく寄与している。各メンバーは一つの聖なる秩序の維持と再生産に寄与していることを実感できることになる。権力は幾重にも制約を受け、宗教や世論によって不断に制限されるものとなる。
バークは、フランス革命は「人間の権利」という抽象的原理に基づく革命であり、それは先入観と社会的紐帯の中でのみ自由が可能になるという人間的現実を無視し、実際には人間を「野生の自然状態」に戻してしまうものに他ならないと言う。それは教会をも含めて社会的紐帯を全て破壊し、人間の社会的まとまりの手がかりとなるものを次々と破壊してしまった。貴族制的要素は政治的平等の教義によって無視され、いい加減な人間たちが権力を独り占めする状態を招いた。
革命の行き先はアナーキーであるという。「人間の権利」という抽象的原理に基づく革命は社会の紐帯を全て破壊することによって、かつて身分制の下に社会的に編成されていたフランス人を相互にバラバラな巨大なマスへと解体してしまう。そこで登場するのは完全民主政、絶対民主政であるが、そこでは権力を制限出来る先入観や世論、更には宗教ももはや存在しない。つまり専制政治を防止する装置が無くなる。先入観が支配しない、「野生の自然状態」においては人間の野蛮さが歯止めを失い、それはやがてこれまで地上に存在した権力の中で最も恣意的な巨大な権力の誕生に繋がるだろう、とバークは言う。
バークは、「自由な国制」が無作為で安定的に存続するとは考えない。リーダーはその存続のために一定の作為や活動をしなければならないと説く。政治エリートのこうした能力をバークは思慮(prudence)や実践的知恵(practical wisdom)、正しい理性と呼んでいる。これに対してフランス革命は哲学的な革命であり、形而上学者や哲学者によって行われた「思弁」に基づく革命であるというのが、バークの説である。
「騎士の時代は過ぎ去った。その後に詭弁屋、物質主義者、打算的人間の時代が来た」とバークは言う。思慮や実践的知恵、正しい理性は可変的、個別的な事柄に関係するのに対して、哲学的な「思弁」に基づくものは普遍的な事柄を扱う知的能力である。前者はアプリオリ=先験的に教えられる事は不可能で、単純さや普遍性、正確さを求める理論に対して専ら例外を処理する特殊なスキルであり、長い経験によってのみ獲得可能である。その意味で言えば、「人間の権利」という抽象的原理に基づき、政治的な思慮とスキルのない「成り上がり者」「詐欺師」「ペテン師」によって強行されたのがフランス革命であったということになる。
フランス革命は全く新しい理論と主義に基づく革命である限りにおいて、それは同時に反文明的、反道徳的、反宗教的な現象であり、それとの対決は文明・政治秩序・宗教に味方する者と、全てを変革しようとする野望の持ち主や無神論者との対決を意味した。
掲示板
9 ななしのよっしん
2022/01/03(月) 05:39:25 ID: dAcskQuXZJ
10 ななしのよっしん
2022/03/24(木) 06:53:51 ID: dAcskQuXZJ
>>7
この大百科記事の「伝統と慣習の重要性」の項目とか>>4とか>>5とか見てると
バークの主張は世襲権力に甘くて民主的平等を軽視してたようにしか見えないんだが
あと政教分離も否定して宗教を重視してるようだし
この記事本文とか>>4や>>5の解説が間違ってるのか?
11 ななしのよっしん
2024/01/08(月) 06:40:51 ID: c45YUTzdFc
名誉革命にしろフランス革命にせよ、領地貴族や法衣貴族の国体に対する優越性を抑制しようとした国家元首が逆襲によって滅んだ、という共通項があるな。
ロシア革命は飢餓状態の農民たちによる一揆という要素もあった為、革命後に革命勢力内で農民派の粛清という一コマが加わったが。
急上昇ワード改
最終更新:2024/06/06(木) 06:00
最終更新:2024/06/06(木) 06:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。