国際ロードレーシングチーム協会 単語

コクサイロードレーシングチームキョウカイ

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国際レーシングチーム協会とは、MotoGPチームが集まってできた団体である。

正式名称はInternational Road-Racing Teams Association。略称IRTA(いるた) 。

MotoGPにおけるIRTAの役割

弱小チームを支援する

もっともIRTAらしい仕事というと、弱小チームへの資金援助の仕組みを作ることと言える。

FIMドルナIRTAといったMotoGPに関わる3団体を普通の会社に当てはめると、
FIMで、ドルナが経営者、IRTA労働組合、となるだろう。

普通の会社の労働組合が弱者救済に熱心であるのと同様に、IRTAも弱小チームの救済をする。

こちらの記事exitでは、IRTAから各チームに分配金が支払われていると書かれている。

こちらの記事exitでは、IRTAMoto3クラス参戦チームへの支援が書かれている。
2016年まで、各チームは6機のエンジンメーカーから6万ユーロで購入していた。
チーム中古エンジンを売り飛ばして、金を作り出していた。売り飛ばす先は、CEV(スペイン6ヶ所、ポルトガル1ヶ所、フランス1ヶ所で行われる若手育成用の選手権)の貧乏チームだった。
2017年から各チーム6機のエンジンメーカーから6万ユーロで貸し出してもらうことになったが、
4万ユーロIRTAが負担することになり、チームの負担は2万ユーロだけになった。

合同テストをとりしきる

全てのチームが参加する合同テストをとりしきるのもIRTAの役となっている。
IRTAチーム代表の集まりの組織なので、チームからの苦情を吸い上げやすい。
テストの日程を調整するなどの作業は、ドルナFIMよりも、IRTAが適任だと言える。

チーム参加合同テストIRTAテストという。検索すると多くの記事がヒットするexit

こちらの記事exitでは、2019年シーズンIRTAテストの日程が書かれている。

レースディレクションにメンバーを送り込む

MotoGPにおいて、レースを円滑に進行させるため、レースディレクションというものが組織される。

レースディレクションはが降ったときの旗を降るかどうかを決めるし、脚が強くなって豪雨になったとき旗中断するかどうかを決める。他にも様々な決めごとを即時に決断する。

レースディレクションの構成員は通例3人。1人はFIM代表、1人はドルナ代表、1人はIRTA代表。
3人が合議して物事を決める。万が一3人の意見が合わなかったら、IRTA代表の意見が通る。
IRTA代表はレースディレクターと呼ばれ、レースディレクションの代表格となっている。

レースディレクションのメンバーは変遷している。表にしてまとめるとこうなる。

FIM代表 ドルナ代表 IRTA代表(レースディレクター
2010年 クロード・ダニスexit ハヴィエル・アロンソexit ポール・バトラーexit
2018年 フランコ・ウンチーニexit ロリス・カピロッシexit マイク・ウェッブexit



せっかくなので、ポールバトラーマイク・ウェッブについて、簡単に紹介しておきたい。

この動画でチラリと映っているexit
この瞬間exitではレースディレクションの3人が顔をえている。一番にいるのがポールバトラー

この瞬間exit椅子に座り腕を組んでいるのがポールバトラー。立ってに手を当てているのが
ドルナ代表のハヴィエルアロンソ

任期中に3回、非常に重い雰囲気の記者会見を開くことになった。会見1exit会見2exit会見3exit

2012年シーズン末、後任にマイク・ウェッブを名して退任した。

1954年ニュージーランドで生まれる。25歳のころに初めてバイクに乗り、それからレースを始めた。
ニュージーランド内選手権ではよく勝っていた。
1989年、35歳の時にMotoGPオーストラリアGPにスポット参戦したことがある。
結果はマシントラブルリタイヤしている。

1992年ピーター・クリフォードexitボブマクラーレンWCMというプライベートチームを始めた。
そのころニュージーランドを訪れていたクリフォードにたまたま会い、「ヨーロッパに来て、レースを手伝ってくれないか」と誘われ、二つ返事で引き受けた。
チームメカニック2人しかいない簡素な団体で、マイク・ウェッブはいきなりチーフメカになった。

数年働いた後、1996年サイモン・クラファーexitニュージーランドライダーWikipediaありexit)が
スーパーバイクカワサキワークスに移った際、誘われて一緒に移籍した。
1997年MotoGPに戻り、ヤマハワークスと言ってもいい存在のチームレイニーに入り、阿部典史のチーフメカになった。
そのあとウェイン・レイニーヤマハチームを売り、マイク・ウェッブはヤマハワークス所属になる。
カルロス・チェカのチーフメカになって、2001年2ストローク500cc最終年まで働いた。

2002年4ストローク990cc元年にヤマハを離れてドルナに移籍。
テクニカルディレクターを10年務めた後、レースディレクションの責任ポールバトラー引退した。
バトラーは後継者にマイク・ウェッブを選び、そのままマイク・ウェッブが後を継いだ。

先述のようにレースディレクションの仕事ロリスカピロッシやフランコ・ウンチーニと行っている。
マイク・ウェッブも2輪レーサーだったがさすがに世界選手権のライダーの心理は想像しがたい
そういうときにはロリスカピロッシやフランコ・ウンチーニにアドバイスをもらうのだという。

現在スペインカタルーニャ州州都バルセロナに近いアンドラ公国exitに住んでいる。

※この項の情報こちらexit
 

近年のIRTA会長 エルヴェ・ポンシャラル

2006年3月からエルヴェ・ポンシャラルexitIRTA会長を務めている。

名門プライベートチームであるTech3exitオーナー監督でもあり、それとIRTA会長を兼ねている。


彼についての詳細は、エルヴェ・ポンシャラルの個別記事を参照のこと。
 

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