増井浩俊(ますい ひろとし、1984年6月26日-)とは、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)である。
OB | |
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増井浩俊 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県焼津市 |
生年月日 | 1984年6月26日 |
身長 体重 |
181cm 70kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2009年ドラフト5位 |
引退 | 2022年 |
経歴 | |
選手歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
プレミア12 | 2015年 |
WBC | 2017年 |
プロ野球選手テンプレート |
駒澤大学に入学し、卒業した後は東芝に就職。3年目に頭角を現して2009年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに5位で指名された。背番号は43。
2010年の4月から先発に抜擢される。3試合目のオリックス・バファローズ戦で初勝利を挙げ、先発ローテーションの一角に食い込み3勝を挙げたが、6月に登録抹消される。8月に復帰したがその後は勝ち星を挙げられなかった。1年目は13試合に登板し、3勝4敗、防御率4.35という成績だった。
2011年から中継ぎに転向。移籍した建山義紀に代わるセットアッパーに抜擢され、劇場体質気味ながら主に守護神・武田久へと繋ぐ8回を任される。チームの好調を影ながら支え、故障で辞退した馬原孝浩の代役として初のオールスター出場も果たした。その後も閉幕までセットアッパーとして活躍、最終的に56試合に登板してリーグ2位の34ホールドを挙げ、防御率1.84と好成績を残した。
2012年から背番号が19となった。セットアッパーとして前年以上のフル回転ぶりを見せ、武田久の離脱時にはクローザーも務めた。後半戦では疲れからか打たれる場面も目立ったが、そんな中でも7連投するという酷使に1年間耐え抜き、73試合に登板、5勝5敗45ホールド7セーブ、防御率2.76の成績を挙げ、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。ちなみに45ホールド、50ホールドポイントはパ・リーグ新記録である。
2013年もセットアッパー、武田久の離脱時は抑えとしてシーズンを通してフル回転。チームの低迷に加え自身も全体的に前年より成績を落としたが、66試合に登板し4勝4敗28ホールド4セーブ、防御率3.71の数字を残す。通算100ホールドを達成(192試合目での達成は史上最速)し、2度目のオールスター出場も果たした。
2014年は開幕早々に武田久が故障で離脱したため、本格的にクローザーに配置転換。しかし6月には4試合連続で失点するなど安定感を欠き、前半戦だけで6敗を喫し6月末に一度二軍落ち。7月半ばに復帰後は復調して8月からは再びクローザーに戻り、後半戦は無敗で終えた。最終的には56試合に登板、5勝6敗10ホールド23セーブ、防御率2.48。
2015年は1年を通じて抑えを務め、39セーブを挙げた。オフにWBSCプレミア12の日本代表に選出された。
2016年も抑えを務めたが不振に陥り、クリス・マーティンに抑えを譲った後は先発に転向。8月25日の千葉ロッテマリーンズ戦では9回1失点8奪三振と好投し、プロ初の完投勝利で首位浮上に貢献。9月には5勝無敗の活躍で月間MVPを獲得。優勝と日本一に貢献した。
2017年はWBC日本代表に選出される。8月16日のロッテ戦で通算100セーブを達成した。52試合に登板し27セーブを挙げた。オフにFA権行使を表明した。
2017年11月30日にオリックス・バファローズに入団することが発表された。背番号は17。
2018年は抑えに定着し63試合に登板。2勝5敗35セーブ9ホールドを記録した。6月29日の日本ハム戦でセーブを挙げたことで、全球団からセーブを達成した。
2019年も抑えを務め、4月19日の楽天戦で通算150セーブを達成。しかし開幕から不振が続き、防御率5点台で6月半ばに二軍落ち。月末に本人の直訴により二軍での調整登板なしで一軍復帰したが、即炎上してしまい二軍にとんぼ返りとなった。その後は7月半ばに一軍復帰すると、抑えにはブランドン・ディクソンが回ったため8月からはセットアッパーを務め、9月2日のロッテ戦で通算150ホールドを達成。150H150Sのダブル150は藤川球児に続いて2人目、パ・リーグ初の記録となった。最終的にはチーム2位の53試合に登板し14ホールド・18セーブを挙げたが、防御率は4.83に終わった。
2020年は開幕を二軍で迎える。開幕一週間で復帰しセットアッパーとして起用されたが、安定感を欠いて7月に二軍落ちとなった。その後、日本ハム時代の2016年以来となる先発再転向が決定。二軍調整を経て9月に4年ぶりの一軍先発登板を果たした。その後は2週間に1回ペースで5試合に先発、2勝を挙げた。
2021年は先発に転向。15試合に登板したが、3勝6敗と負け越した。
2022年は2試合の登板で2敗に終わり、戦力外通告を受け、オファーが来なかったため現役を引退した。
150km/hのストレートと落差の大きいフォークを武器にする力押しタイプのピッチングスタイル。先発時代は与四球と被本塁打が多かったが、リリーフ転向後は荒れ球とフォークを活かして立派に劇場して抑えている。
ファンからの愛称は「まっすー」。苗字から「麻酔」とも呼ばれる。武田寿司の影響で「鱒寿司」と言われることも。
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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2010年 | 日本ハム | 13 | 13 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 0 | .429 | 60.0 | 31 | 34 | 31 | 29 | 4.35 |
2011年 | 56 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 34 | .000 | 53.2 | 19 | 58 | 11 | 11 | 1.84 | |
2012年 | 73 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 7 | 45 | .500 | 71.2 | 25 | 65 | 26 | 22 | 2.76 | |
2013年 | 66 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 4 | 28 | .500 | 63.0 | 16 | 63 | 28 | 26 | 3.71 | |
2014年 | 56 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6 | 23 | 10 | .455 | 58.0 | 24 | 59 | 16 | 16 | 2.48 | |
2015年 | 56 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 39 | 4 | .000 | 60.0 | 19 | 71 | 11 | 10 | 1.50 | |
2016年 | 30 | 8 | 2 | 1 | 10 | 3 | 10 | 1 | .769 | 81.0 | 26 | 71 | 22 | 22 | 2.44 | |
2017年 | 52 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 27 | 7 | .857 | 52.2 | 11 | 82 | 15 | 14 | 2.39 | |
2018年 | オリックス | 63 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 35 | 9 | .286 | 65.0 | 33 | 69 | 18 | 18 | 2.49 |
2019年 | 53 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 18 | 14 | .200 | 50.1 | 24 | 64 | 29 | 27 | 4.83 | |
2020年 | 16 | 5 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 5 | .500 | 35.2 | 20 | 29 | 13 | 12 | 3.03 | |
2021年 | 15 | 13 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | 1 | .333 | 71.0 | 29 | 45 | 47 | 39 | 4.94 | |
2022年 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 9.1 | 4 | 11 | 4 | 4 | 3.86 | |
NPB:13年 | 551 | 41 | 2 | 1 | 41 | 47 | 163 | 185 | .466 | 731.1 | 281 | 725 | 271 | 250 | 3.08 |
タイトル | ||
---|---|---|
最優秀中継ぎ投手 | 1回 | 2012年 |
表彰 | ||
月間MVP | 1回 | 2016年9月 |
その他 | ||
1球セーブ | 1回 | 2017年6月11日 |
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最終更新:2024/11/21(木) 23:00
最終更新:2024/11/21(木) 22:00
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