東急8000系とは、東京急行電鉄の通勤型電車である。
広義では8500系・8090(8590)系も含まれるが、本稿では狭義での8000系のみを解説する。
世界初の界磁チョッパ制御車であり、後々この方式は全国の私鉄に普及することとなる。
また、日本で初めて力行とブレーキを一体としたワンハンドルマスコンを本格採用し、デスク型運転台の採用とともに運転士の居住性改善に大きく貢献している。
このように世界初・日本初の技術を積極的に取り入れた意欲作であり、この意欲はマイナーチェンジバージョンと言える8500系が鉄道友の会のローレル賞を受賞したことで実を結んだ。
1978年には軽量ステンレス構造の試作車であるデハ8400形(デハ8400形を1M車に充てることになり後にデハ8200型に改番)が2両製造された。
この車両が長期営業試験で実用性に問題がないことが立証されたため、軽量ステンレス構造は8090系から本格採用されることとなる。
なお、8090系登場後に製造された中間車は、車体外板こそコルゲート付きなものの、軽量ステンレス構造を採用した車両(通称「軽量車」)がおり、屋根部分のRの違いから判別することができる。
広義の8000系としては東急史上最多の677両もが製造され、「私鉄の103系」という別称を付けられた東武8000系ほどではないにしても一大勢力を築き上げた。
2008年に運用を離脱し、その後一部が他事業者に譲渡され活躍している(後述)。
登場当初から現役晩年まで東横線での運用が途絶えなかった他、田園都市線や大井町線でも運用された。
一部の先頭車(クハ8000形)は8500系の付随車(サハ8900形)の新造を遅らせるため(サハ8900形用の大型SIVの設計・製造が間に合わなかったためとも言われている)、一時期8500系編成に組み込まれていたほか、8000系編成の中に8500系の電動車ユニット(あるいはその逆)が組み込まれるという事例も存在したがいずれも全て解消されている。
晩年は東横線(6M2T編成)、大井町線(3M2T編成)で活躍。
東横線で最後まで活躍したのは東横特急下り一番列車に充当された8017Fで、2008年1月1・2日には2006年のダイヤ改正以降入らなくなっていた日中運用(17運行。この運用は日中特急指定運用であった)に「元旦」(1日)、「賀正」(2日)や「謹賀新年」といったヘッドマークを付けて充当。最後の正月という晴れ舞台を華々しく飾った。
そして1月13日に8000系のさよなら運転が臨時特急として行われた。元住吉に臨時停車し定期特急に抜かれるダイヤだったため、特急が特急の通過待ちをするという珍ダイヤを(形式的に)避けるために「特急元住吉行」という過去には無い行き先も見られた。
大井町線に最後まで残ったのはトップナンバー編成の8001Fで、東横線撤退後も運用を続けていたが、大井町線ATC化に伴い2月23日を最後にひっそりと運用離脱。特に装飾もイベントもないひっそりとしたお別れとなった。
伊豆急行とインドネシアのジャボタベック鉄道に譲渡されている。
伊豆急行には45両が譲渡(うち1両は8500系デハ8700形)され、在来形式の200系全てと2100系(リゾート21)の一部を置き換えている。
詳しい事は「伊豆急8000系」を参照のこと。
なお、東横線の8000系(8007F)が引退前にこの伊豆急でのカラーをまとい「伊豆のなつ号」として臨時急行として)運用された(運行番号は伊豆急を意識してか「129」とされたことがある。
インドネシア・ジャボタベック鉄道には8両編成3本が譲渡された。現地で現地仕様に改造され、カラーリングは東急に無い奇抜なものになったものの、車内はかなり日本時代の面影をとどめている。
なお、このうち1本は前述した8007F「伊豆のなつ号」が伊豆急カラーのまま譲渡され暫くの間そのままのカラーリングで活躍した(現在は現地のカラーリングに変更)。
行き先表示機も日本時代の物がそのまま使われている車両が多く、インドネシアにいながら「急行渋谷」や「特急桜木町」といった行き先を普通に掲げて走っている。
ニコニコ市場にはないものの、グリーンマックスストアーオリジナルブランドであるクロスポイント名義で未塗装キットが発売されている。
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最終更新:2024/11/08(金) 04:00
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