古代中国、春秋戦国時代の魯の国にいたとされる盗賊団を率いた悪人。
一説にはもっと前の黄帝の時代の人とされる伝説の人物。
9000人もの部下を率いてあちこちを荒らし回り、盗みを働くときは壁を壊すなど荒っぽく、女はさらい牛馬は奪いとやりたい放題で、彼らが近づくと皆砦へ逃げてしまうほどであった。
それでいて大変に知恵の働く人物でもあったとされ、中国では盗賊、悪人の代名詞であると共に、偉人と共に引き合いに出され、比較されることもある。
司馬遷は其の著書である史記の中で、儒教で聖人とされている伯夷・叔斉が、尊い志しに従って餓死したことと、盗跖がさんざん悪事を働いた後に満足して寿命で死んだことを比較して、「善人が餓死して、悪人が大往生を遂げるのは天道(運命)として正しいのだろうか」と疑問を投げかけている。
唐の詩人、杜甫は「孔丘盗跖倶塵埃」(孔子も盗跖も死んだら同じ塵だ、生きているときは楽しもう)という詩を読んだ。
また荘子は著書の「荘子」の中で儒教への批判として、盗跖が孔子を論破するところを描いている。
孔子の友達に柳下季という人がいたが、この人の弟が盗跖だった。
孔子は弟の過ちを正すのは兄の努めだと柳下季を叱るが、彼は「弟はとても頭がよく、何を言っても聞かない」という。
そこで孔子は一人で出かけて行って盗跖と話し合う。
盗跖は「橋の下で女の人と合う約束をした男が、川の水かさが増しても約束を守ってそのまま橋の柱に捕まり続け、溺れ死んだ話」や、「伯夷が餓死した話」などを元に、名誉を重んじて命を軽んじるのは生き物の道に外れていると説き、「限りある人の命を全うすることこそが正しい人の道ではないか」と孔子に説く。
孔子は反論できず家に帰り、柳下季に「己の行いは虎の頭を撫でてその髭を編むぐらい愚かだった」と言ったという。
あるとき盗跖の部下が彼にこう尋ねた。
「お頭、聖人君子になるためにしなければならない道はありますが、盗人にもあるんですかい?」
すると盗跖が答えて言うには、
「もちろんあるとも。君子と同じように盗人の五徳といって、それぞれ"聖"、"勇"、"義"、"智"、"仁"がある」
「それはいったいなんです?」
「聖とは盗むものをよく吟味することだ、金にもならないものを盗んでは儲けにならない」
「勇とは盗みに入る度胸のことだ。これがなければもちろん物を盗むなんて出来はしない」
「義とは仲間を先に逃し、自分が最後に逃げることだ。自分が真っ先に逃げるような奴に仲間はできない」
「智とは盗めるかどうか判断することだ。警備が厳重になったのに無理に盗もうとして捕まっては無意味だ」
「仁とは盗んだものを仲間と公平に分けることだ。独り占めをしたり不公平では、仲間に恨みを持たれてしまう」
「君子も盗人も、五徳を持って道に従わねば立派にはなれない」と語った。
これらのことからわかるように、荘子はそれまで儒教で正しいとされてきた法律や礼儀に縛られて生きるのではなく、無為自然に生きるべきだと説き、その引き合いに出すために盗跖を使って孔子をやり込めた寓話などを記している。
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最終更新:2024/05/07(火) 11:00
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