立花鑑載(たちばな・あきとし ? ~ 1568)とは、筑前の戦国武将である。立花山城主。
ある意味で「立花道雪」「立花宗茂」誕生のきっかけを作った人。
大友家譜代の重臣。しかし大内氏滅亡によって北九州が大友氏と毛利氏の抗争の地になると、混乱に乗じて謀反を起こした。この時は許されたのだが、1568年に再び毛利方に寝返る。頑強に抵抗するも、戸次鑑連率いる討伐軍の前に敗死した。
こうして立花氏は一旦滅び、その名跡は戸次鑑連が引き継ぐ事になった(→立花道雪)。
立花氏は大友氏の庶流。1330年に大友貞載(大友氏6代当主・大友貞宗の次男)が立花山城を築いた事に始まる。以降の筑前国は大友・大内・少弐の勢力争いの舞台となり、博多にほど近い立花山城は重要拠点となった。何度となく陥落と奪回とが繰り返された事もあってか、立花氏歴代の詳しい事跡はほとんど残っていない。
立花鑑載は7代目にあたる。父は立花鑑光(養子という説もある)。
鑑載の『鑑』は大友義鑑から拝領したものだろう。この頃には少弐氏はすっかり衰退、逆に大内氏が大きく勢力を広げ、立花山城も奪われていた。
だが1551年の『大寧寺の変』、1555年の『厳島の戦い』を経て、大内氏があっという間に滅亡した事で情勢は一変する。大友義鎮(宗麟)は豊前・筑前に進出し、立花山城も奪回した。
ところが、立花山城主となった父・立花鑑光は大友宗麟に誅殺されてしまった。理由は分かっていない。問題児な宗麟の機嫌を損ねてしまったのか? はたまた裏切りの予兆があったのか? ともかく、こうして鑑載が立花山城主の座を継ぐ事になった。
大内氏を滅ぼした毛利元就は、そのままの勢いで北九州へと勢力を伸ばしてきていた。秋月文種・宗像氏貞・筑紫惟門などなど北九州諸豪族が毛利方に通じて反乱を起こすなど、筑前の情勢は非常に不安定なものになっていた。当然、最前線である立花山城の重要性はますます高まっていた。
しかし一方の宗麟はというと、酒乱やら女性関係やらのトラブルも多く、たびたびベッキーこと戸次鑑連の諫言を受けていた。こうした宗麟の行動に問題があったのか、かつて父が殺された恨みがあったか、詳しい心中は不明ながら鑑載は元就の調略に乗り、1565年、突如謀反を起こす。
この反乱は吉弘鑑理によって鎮圧され失敗に終わり、鑑載は一時逃亡するが許されて立花山城に帰還した。しかし、監視役としてぬるい温泉奴留湯融泉を付けるという条件付きだった。
相変わらず不安定な筑前情勢ではあったが、大友家重臣のひとり・高橋鑑種が代官となり筑前の支配・運営が行われていた。……が、実はこの高橋鑑種、既に水面下では毛利方へと寝返っていたのである。
1567年、鑑種が中心となって秋月種実・宗像氏貞・筑紫惟門・原田隆種、そして龍造寺隆信が大友氏に一斉に反旗を翻した。立花山城も当然ターゲットとなり、宗像氏貞率いる大軍に攻め込まれるが、奴留湯融泉の活躍もあって守りきる。
宗麟は激怒して、戸次鑑連を総大将とした大軍を送り込んだ。が、翌1568年に鑑載は高橋鑑種・毛利元就と手を結び、再び大友に謀反を起こす。この混乱した状況で筑前の要衝・立花山城が反乱軍(毛利方)の手に落ちるのは一大事であるが、監視役の融泉の暗殺に失敗してしまい、裏切りはすぐに宗麟の知るところとなった。
戸次鑑連率いる2万超の討伐軍は、立花山城を奪回すべく包囲戦を行った。鑑載は3ヶ月以上に渡って耐え続けたが、家臣・野田右衛門大夫が大友方に内応した事が決め手となり、7月23日に落城。鑑載は自害したとも、殺害されたとも、処刑されたとも言われていて、その最期は定かではない。
この一連の反乱は、翌1569年に毛利氏が手を引いた事で終息した。
鑑載には立花親善という後継者がいたが(実子とも養子とも言われる)、二度の反乱は許されるものではなく、立花氏は一旦取り潰しとなった。
そして筑前が平定された後の1571年、戸次鑑連(道雪)が立花山城主に任命されると同時に立花氏の名跡を継承する事となった。一般に「立花道雪」の名で知られるが、実際には立花の名乗りは禁止されていた。鑑光の誅殺といい、鑑載の二度の裏切りといい、この道雪への名乗り禁止といい、宗麟と立花氏との間には一体何があったのだろう?
そして、道雪の婿養子となった立花宗茂が1582年に改姓して、立花氏は14年ぶりに名実ともに復活した。偶然というか皮肉というか、宗茂は鑑載最初の謀反を鎮圧した吉弘鑑理の孫である。江戸時代の立花家は柳川藩主として続くが、『鑑』の字は通字として引き継がれている(鑑載より鑑連の方にあやかってそうな気がするが)。
彼は生き延びた事は確かなのだが、その後どうなったのかは分かっていない。
親善は戸次氏からの養子とも言われる。戸次鑑連(道雪)のはとこに戸次親善という人物がおり、彼と同一人物では?とも推測されている。ちなみにこの戸次親善の子孫は柳川藩士となり、立花家に仕えている。
最近はすっかり御無沙汰。
覇王伝1551シナリオでは何故か筑前の大名を務めていた。大友・毛利間で揺れ動く北九州諸豪族たちが集まった勢力である(寄せ集めとも言う)。このポジション、将星録以降はもっぱら秋月家の役目になった。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | 72 | 戦闘 | 69 | 智謀 | 41 | 政治 | 33 | 野望 | 37 | ||||
天翔記 | 戦才 | 138(B) | 智才 | 82(B) | 政才 | 96(B) | 魅力 | 62 | 野望 | 41 | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
嵐世記(註) | 采配 | (50) | 智謀 | (47) | 政治 | (55) | 野望 | (55) | ||||||
蒼天録 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
創造 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - |
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