「宗像氏貞」(むなかた・うじさだ 1545 ~ 1586)とは、天照大神の三人の御子を祀る辺津宮・中津宮・沖津宮の三宮からなる宗像神社の大宮司であり、出雲族の支族とされる戦国武将であり、戦国大名宗像氏の最後の当主。
宗像正氏(黒川隆尚)と陶晴賢の姪の間に生まれ、家督を継いだ宗像正氏の甥・宗像氏男(宗像氏続の子)は大内義隆の側近として仕えていたところに、陶隆房(陶晴賢)の反乱が起き、陶晴賢の誘いを断って大内義隆に従い、大内義隆自刃の際に時間稼ぎに奮戦して戦死したことから、宗像氏男の正室の菊姫や弟の千代松を暗殺した陶晴賢により、宗像氏貞が大宮司となった。
宗像氏貞は、陶晴賢の家臣として宗像衆と呼ばれる水軍を率いて戦ったものの、陶晴賢が毛利元就の知略により厳島の戦いで敗死すると、大内氏の北九州の所領を引きついだ大友氏に仕えた。
しかし、毛利元就が北九州に攻めてくると大友宗麟を裏切った宗像氏貞だったが、大友宗麟が派遣した兵により宗像の地から逃げ出したが、毛利元就の支援で再び所領を回復し、毛利元就と大友宗麟の和睦にあわせて、宗像氏貞も大友宗麟と和睦する事となったが、高橋鑑種が秋月種実や筑紫惟門らと共に大友宗麟に叛旗を翻すと、宗像氏貞もこれに同調し、北九州混乱の時代を迎えるが、毛利家の北九州完全撤退により後ろ盾をなくし、大友宗麟に降伏する事となり、大友家重臣・臼杵鑑速の娘を大友宗麟の養女として宗像氏貞の妻とし、妹の「色姫」を雷神・戸次鑑連(立花道雪)に嫁がせた。
色姫が人質として輿入れする際に化粧料として西郷の地を色姫に与えた宗像氏貞だったが、西郷の地を追い出された郷士達が、戸次鑑連(立花道雪)の輸送隊を襲撃する事件が発生し、戸次鑑連(立花道雪)から領土を追加する旨の事前報告に対して通行許可を出していた宗像氏貞にとっては寝耳に水の事態であったらしく、収拾をはかるもすでにキレていた雷神が許そうとせず、結果宗像氏家臣との戦いに発展し、雷神の家臣も討ちとられるまでに至った為、宗像氏貞の背信行為だとする戸次鑑連(立花道雪)との対立はお互いが死ぬまで続く事となり、対立に心をいためた「色姫」は山田地蔵尊の命日に自害して果てた。
その後は、宗像神社の社殿再興や領内の振興に尽力した宗像氏貞だったが、立花道雪が病死すると再度大友宗麟に反抗して所領回復の戦いを始めたのだったが、豊臣秀吉の九州征伐前に病死した。享年42歳。
-宗像氏貞・辞世の句-
人として 名をかるばかり 四十二年 消えてぞ帰る もとのごとくに
宗像氏貞には後継の子が無く、九州に入った豊臣秀吉により戦国大名としての宗像氏は取り潰され、宗像大宮司の権限は祭礼を取り仕切るのみとされた。
※その他「宗像氏貞」の詳細についてはWikipediaの該当記事
参照の事。
宗像氏貞が大宮司になる際に、「山田事件
(菊姫伝説)」と呼ばれる凄惨な後継者争いが発生している。
父・宗像正氏の死後、宗像正氏の娘「菊姫」を妻としていた宗像氏男が家督を継承するも戦死した後、宗像氏貞を担ぎ上げようとする陶晴賢に、他の宗像氏が宗像氏男の父・宗像氏続や、宗像氏男の弟の千代松や妻の菊姫を擁立して反抗した際に、陶晴賢の手の者により、宗像氏続と千代松が暗殺され、「菊姫」も周囲の者を次々と殺されて、残った六人の侍女達や父・宗像正氏の妻であり母である「山田の局」らと共に「山田の里」に隠棲していた。
暗殺を命じられた宗像家臣・石松尚秀は、家臣の「野中勘解由」「嶺玄蕃」に実行を指示し、夜の月を拝みながら行水していた菊姫が十八歳の若さで切られた他、果敢に戦った侍女達も全員殺され、残る「山田の局」の前に刺客二人が現れた際に、「山田の局」は、
汝ら罪科なき主人を殺すこと、この恨み汝らの子孫まで赦すまじ。
我は女なれども汝らが手には懸らぬ
と言って自害した。
惨劇の後、刺客二人は、山田の局や菊姫の亡霊により激痛によって妻子兄弟が頓死したり、変死や狂死が相次ぎ、「山田の祟り」として恐れられた。
これらはすべて陶晴賢の手によるもので、宗像氏貞は預かりしらぬところであったが、後年、妹の色姫が母親の喉笛に突如噛み付く事件が発生した。
その際に、鮮血を滴らせた色姫は
我は山田の怨霊なるぞ
と当時幼少の身で事件の事など知らぬ妹の声を聞いた宗像氏貞は事件の顛末を知るに至り、六人を地蔵尊として崇め、六体の地蔵尊を安置して、祭田を寄進して鎮魂に務めたという。
そして現在、六体の地蔵尊が安置された山田の「増福禅院」は「山田地蔵尊」として安産祈願の寺として知られる事となった。
石松、野中、嶺姓は現在も宗像市に存在しており、特に石松姓は多いが、この事件以降「山田地蔵尊には近付くな」と教えられる者もあり、山田地蔵尊への遠足を休む者が現在でも多く見られる。
ちなみに氏貞・色姫から見た菊姫は異母姉であり、従兄弟の妻でもある。
宗像氏相関図(占部氏作成)
| 軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
| 戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
| 武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
| 覇王伝 | 采配 | 66 | 戦闘 | 67 | 智謀 | 25 | 政治 | 44 | 野望 | 53 | ||||||
| 天翔記 | 戦才 | 134(A) | 智才 | 50(C) | 政才 | 108(B) | 魅力 | 61 | 野望 | 55 | ||||||
| 将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||||
| 烈風伝 | 采配 | 68 | 戦闘 | 38 | 智謀 | 59 | 政治 | 52 | ||||||||
| 嵐世記 | 采配 | 44 | 智謀 | 43 | 政治 | 37 | 野望 | 25 | ||||||||
| 蒼天録 | 統率 | 54 | 知略 | 45 | 政治 | 51 | ||||||||||
| 天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||||
| 革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
| 天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
| 創造 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
| 大志 | 統率 | 60 | 武勇 | 65 | 知略 | 65 | 内政 | 63 | 外政 | 64 | ||||||
掲示板
3 ななしのよっしん
2021/04/21(水) 05:27:02 ID: y0OKouoA6s
>>2で触れてる書状の調査が進んで、小早川秀秋が市川与七郎(宗像清兵衛)に知行を与えた文書やらも見つかってる。
吉川元春らが大宮司宗像家の家督について話し合ったことに触れてる書状が見つかったり結構な発見。
4 ななしのよっしん
2023/10/05(木) 10:58:16 ID: 63/9YjdQ8k
>>1
大友宗麟を裏切る→毛利の都合で大友に下る、の繰り返しなんだよなあ
大友家と相容れなかったんだろうね
5 ななしのよっしん
2023/10/08(日) 15:20:06 ID: EpC86SmlBw
名門の当主が吹けば飛ぶような土豪みたいなムーヴしてて家が残ったケースってあったかな、とこの記事読んで思った。
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最終更新:2025/12/10(水) 16:00
最終更新:2025/12/10(水) 15:00
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