| 阪神タイガース #81 内野守備走塁コーチ |
|
|---|---|
| 馬場敏史 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 福岡県三潴郡 |
| 生年月日 | 1965年2月10日 |
| 身長 体重 |
173cm 77kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 内野手 |
| プロ入り | 1989年 ドラフト5位 |
| 引退 | 2000年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督・コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
柳川高等学校に進学。3年間の在学期間で甲子園大会出場歴はなし。
卒業後、新日本製鐵堺に入社。新日本製鐵堺在籍時には4度の都市対抗野球大会出場を経験。全日本代表にも選出され、1989年の都市対抗では本塁打を放ち、準決勝進出に貢献している。なお、このときの同僚には野茂英雄がいた。
1989年ドラフト会議にて、福岡ダイエーホークスから5位で指名を受け、入団。同期入団には橋本武広がいた。
初年度の1990年は54試合に出場。石井丈裕からプロ初本塁打を放ったが、打率.164とプロの壁に苦しんだ。
1991年は一軍出場無し、1992年はわずか10試合の出場に終わり、二軍暮らしが続いた。
1993年、一軍に定着し、67試合に出場。課題の打撃面でも打率.246と改善を見せた。シーズンオフに、高木晃次とのトレードでオリックス・ブルーウェーブへトレード移籍。
1995年、レギュラーに定着して115試合に出場。打率.262、1本塁打、33打点を記録したほか、パ・リーグ最多の29犠打を記録し、守っては好守が光り、パ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズでもファインプレーを連発し、シーズン後にはゴールデングラブ賞にも選ばれた。
1996年、前年に続き守備面でチームに大きく貢献し、苦手な打撃面でもキャリアハイとなる6本塁打を放ち、パ・リーグ連覇に貢献。日本シリーズも全5試合に出場して日本一にも貢献。2年連続でゴールデングラブ賞にも選ばれた。
1997年、シーズン途中に小倉恒・広永益隆とのトレードでヤクルトスワローズへ移籍。野村克也監督から守備力を評価されての移籍であった。
ヤクルトでは衰えの見られた辻発彦に代わりセカンドで起用され、1997年のセ・リーグ制覇に貢献。以降は土橋勝征の存在や、城石憲之や岩村明憲らの台頭により、徐々に出場機会を減らす。
引退後は、古巣のオリックスやヤクルトをはじめ、横浜ベイスターズ、KBOのハンファ・イーグルス、埼玉西武ライオンズ、神戸学院大学などでコーチを務めた。
2023年からは阪神タイガースの内野守備走塁コーチを務めている。
鉄壁かつ華麗な守備でオリックス・ヤクルトの黄金期を支えたいぶし銀。その守備力の高さは仰木彬・野村克也ら名将から高く評価された。
| 通算:10年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 675 | 1579 | 1357 | 114 | 328 | 12 | 119 | 8 | 97 | 6 | 102 | 16 | 229 | 34 | .242 | .301 |
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/06(土) 03:00
最終更新:2025/12/06(土) 02:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。