高谷裕亮 単語

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高谷裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日-)とは、栃木県出身の元プロ野球選手捕手)である。現在福岡ソフトバンクホークスコーチ

『高』の字は正確には『』である。

概要

小山北桜高校卒業後、社会人富士重工に進むが、故障で2年で退社。その後、大学に入り直したという苦労人。

2006年大学生社会人ドラフト福岡ソフトバンクホークスから3巡名を受け、入団。

ソフトバンク時代

2007年(1年)からソフトバンク捕手事情が火のであったため、1年は12試合に出場。


2008年の活躍が覚ましく、7月上旬に一軍に昇格すると、7月15日プロ初の猛打賞7月16日にはプロ本塁打を放つなど活躍。正捕手として起用されたが、この年チームは最下位に沈んだ。


2009年先こそ正捕手で起用されたが信用を得られず、田上秀則の台頭で出番を失う。以降、山崎勝己2011年に加入した細川亨の後を拝して専ら3~4番手捕手として二軍にいるかベンチを温めるかの日々が続いた。


2012年も例年通りの3番手でスタートしたが、チーム全体の打撃不振のため、7月頃から打を買われて久々にスタメン出場の機会を得る。最初のうちこそ猛打賞記録するなど打撃で貢献したが、守備面では大隣憲司武田翔太は好リードしたものの攝津正山田大樹とは息が合わず細川マスク時と防御率が2点違うという状態で、打率も徐々に下げ、8月下旬には細川に正捕手の地位を奪い返されることになった。それでも自己最多の64試合に出場、久々存在感を発揮した。


2013年から2014年はまた例年通り3番手捕手としてベンチに座り続ける日々が続いたが、捕手3人体制でベンチに安心感をもたらしつつ、二軍で期待の若手の出番を奪うこともなく、出場機会が全然くても腐らずベンチで待機し続ける高谷の存在は意外とチームに欠かせないものになっていた。


2015年細川亨山下斐紹の怪で2番手に繰り上がり、4月3日西武戦で2年ぶりのヒットとなる逆転の3点タイムリーツーベースを放ちお立ち台に上がった。5月には鶴岡慎也から正捕手の座を奪ったが、末に細川が復帰したため再び2番手に。しかし2012年も相性の良かった武田翔太正妻の座を確保し、以降は武田寺原隼人先発時にマスクを被った。最終的に自己最多を更新する93試合に出場した。


2016年は開幕から正捕手として活躍するが、7月に左膝の手術を受けてその後はリハビリに費やしたため、出場は37試合に留まった。


2017年細川亨東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍し出場機会が増えるかと思われたが、6月右手骨折し1ヶ離脱。さらに甲斐拓也の台頭もあり正捕手定着とはならなかったが、2015年に次ぐ92試合に出場した。


2018年は右肘の手術で開幕に出遅れたうえ、その間に甲斐がほぼ正捕手に定着したため、スタメンマスクは14試合に留まったが、試合終盤に甲斐代打が出された後のマスクを被る「抑え捕手」的な立ち位置をしっかり確保し73試合に出場した。
日本シリーズではいつも通り途中出場した第3戦で、中田廉からまさかのホームラン。5点リードの場面でのソロという勝敗に関係なさそうな一発だったが、その後1点差まで詰め寄られたため結果的に高谷ホームランチームシリーズ勝利をたぐり寄せることになった。


2019年はスタメンマスクは10試合、出場も55試合と前年より減ったが、故障者続出のチームの中で開幕から日本シリーズまで怪なく一軍でプレー日本一に貢献した。


2020年和田毅先発時にスタメンマスクを被り、例年通り第2捕手としてチームを支えたが、10月12日に左膝痛で戦線離脱。そのままレギュラーシーズンを終えたため、33試合の出場に留まった。オフに左膝の手術を受ける。


2021年は左膝痛が悪化して開幕々に戦線離脱。東京五輪後の後半戦から一軍復帰したが、20試合の出場に留まり、年齢と膝の状態もあってかオフ戦力外通告を受ける。通告前はもう1、2年はやれるつもりでもいたようだが、通告を受けて膝のこともあり若手にを譲るべきと考えたとのことで、現役引退を表明。引退会見では和田毅から花束を贈られ、福岡ドームのマウンドで和田ラストバッテリーを組んで現役生活を終えた。

引退後

2022年からはソフトバンク二軍バッテリーコーチに就任。

プレースタイル・人物

捕手としての武器は強肩。規定守備に到達した年では、2015年盗塁阻止率.442、2018年に.385をマークしていずれもリーグ2位である(2017年は.194だが……)。2018年日本シリーズでは甲斐拓也が6連続盗塁阻止MVPを獲得したが、高谷もしっかり盗塁阻止記録広島に一度も盗塁を許さなかった。

プロ入り当初は「打てる捕手」という触れ込みで、打を期待されての起用も多かったが、何しろ若手時代の較対は打てないことで有名な的場直樹山崎勝己だったわけで、通算打率.194、通算10本塁打と、実際は打てる捕手とは言い難かった。

武田翔太と相性がよく、先発時には基本的にスタメンマスクを被った。また、抑えのデニス・サファテの球を受ける捕手としての首からの信頼度は甲斐より上であった。
山崎細川鶴岡といったかつてのライバルたちがチームを去ったあとは、長年の経験を活かした守備の2番手捕手としてしっかりとした立ち位置を確保し、チームを支えた。

2011年リーグ優勝時に、胴上げ輪の中ソフトバンクお父さんぬいぐるみを抱えていたことでその後しばらく「お父さん世話係」と言われていた。当時、チーム内でも「お父さん」と呼ばれていたらしい。

2018年からはジュリスベル・グラシアルホームランを打ったときに、ベンチでシャドーボクシングボコボコにされる役を担当。これは当初グラシアルが怪で離脱した際にリハビリボクササイズに付き合ってくれたトレーナーへの感謝の意味でパフォーマンスをしていたが、高谷がそれにのっかったところ、そのシーンを偶然モニターで抜かれて五十嵐亮太に大受けしてしまい、続けてくれとお願いされたのがきっかけである。なお、自身がホームランを打ったときには、逆にグラシアルをシャドーボクシングボコボコにする。

応援歌

球団 レス No プレイヤー
ソフトバンク 応援歌のピコカキコ一覧#181 8806
8806

成績

年度別打撃成績


 

 

 

 

 

 

 



 塁 

 塁 

 

 
 塁 

 

 
 飛 

 

 
 球 

 

 殺 

 


2007年 ソフトバンク 12 30 23 2 3 2 0 0 4 0 2 0 5 0 15 0 .130 .286
2008年 62 215 189 17 34 4 0 2 13 0 8 1 16 1 57 2 .180 .246
2009年 25 72 62 2 13 1 0 0 5 0 2 0 7 1 18 2 .210 .300
2010年 23 22 18 1 2 1 0 0 1 0 1 0 3 0 6 1 .111 .238
2011年 12 3 3 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .667 .667
2012年 64 144 133 8 28 8 0 0 10 1 3 1 7 0 25 2 .211 .248
2013年 22 28 26 1 2 0 0 0 1 0 0 0 2 0 9 1 .077 .143
2014年 20 5 5 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000
2015年 93 192 171 14 30 6 1 1 16 0 8 0 13 0 31 2 .175 .234
2016年 37 103 81 12 20 0 0 2 16 0 10 1 10 1 12 4 .247 .333
2017年 92 195 175 9 36 4 0 1 20 0 5 2 12 1 30 1 .206 .258
2018年 73 57 52 5 9 1 0 1 4 0 3 0 1 1 11 1 .173 .204
2019年 55 42 30 2 5 0 0 1 1 0 7 0 5 0 15 0 .167 .286
2020年 33 62 52 6 13 3 0 2 10 0 4 0 4 2 19 0 .250 .328
2021年 20 17 17 1 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .235 .235
NPB:15年 643 1187 1037 81 201 30 1 10 101 1 53 5 85 7 250 16 .194 .258

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