的場直樹(まとば なおき、1977年5月9日-)とは、大阪府出身の元プロ野球選手(捕手)である。現在は千葉ロッテマリーンズのコーチを務める。
千葉ロッテマリーンズ #72 一軍戦略コーチ 兼バッテリーコーチ補佐 |
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的場直樹 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市 |
生年月日 | 1977年5月9日 |
身長 体重 |
179cm 87kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1999年ドラフト3位 |
引退 | 2012年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
大阪市内の浄土真宗のお寺に生まれ、9歳で得度。そのため、プロ入り後もオフにはトレーニングの邪魔にならない範囲で僧侶として実家のお寺の手伝いをしていた。
高校はPL学園から勧誘を受けるが、PL学園が別の宗教系の学校ということもあってこれを固辞し、仏教系の上宮高校に進む(上宮高校は浄土真宗ではなく浄土宗系の高校なのだが……)。高校のチームメイトには三木肇がいた。3年夏はベスト8で敗退し甲子園出場経験はなし。
明治大学では主将を務め、アマチュアNo.1捕手と呼ばれるまでに評価を高めた。1999年9月のアジア野球選手権大会(シドニーオリンピックのアジア最終予選)では、ヤクルトの古田敦也、中央大学の阿部慎之助とともに日本代表に選ばれ参加した。
1999年のドラフト会議で、福岡ダイエーホークスに3位で指名され入団。背番号26。
アマチュア時代は即戦力捕手という扱いだったが、当時のホークスには正捕手に城島健司という大きな壁があったため、なかなか出場機会に恵まれなかった。
2004年、2005年には城島がチームに不在になることがあり、そのときは的場が先発マスクを被ることが多かった。
その後2006年に正捕手の城島がメジャー移籍。正捕手争いで1番の有力候補であったにもかかわらずバッティングのダメさ(後述)と山崎勝己の台頭によって昔から縁の深い斉藤和巳専属捕手となってしまう。しかしこの年の斉藤は神がかった成績を残したため、その恩恵にあずかって最優秀バッテリー賞を受賞した。役得である。
2007年も前年と同じく斉藤専属捕手だったものの斉藤の故障、打撃に定評のある田上秀則の活躍で更に出場機会が減る。さらに2008年は斉藤和巳が故障によりシーズンを棒に振り、追い討ちをかけるように的山哲也の加入、高谷裕亮の台頭でトータル8試合しか出場がなかった。
2009年も斉藤が復帰する気配はなく、正捕手の座がほぼ田上で固まり、控えにも山崎や高谷がおり、二軍も期待の育成枠ルーキー堂上隼人や2005年高卒ドラフト1位の荒川雄太がいたため、とうとう一軍出場無し、二軍での出場すらほとんど無くシーズンを終える。
2009年10月3日、遂に戦力外通告をされる。同月4日、二軍に最後の挨拶に訪れ、「ニートになった的場です」とホークスに最後のユーモアを残しチームを去る。
その後、橋本将のFA退団が決定的だった千葉ロッテマリーンズが獲得の意向を示し、入団が正式に決定した。
ホークスではいつ戦力外になるかわからないがムードメーカーとしてはチーム1であっただろう。
特に宮崎の春のキャンプでの声出しではB組なのに関わらず報道陣が多く集まり、周りの選手、首脳陣、報道陣、ファンを笑わせていた。
2008年のシーズン初出場は代走であったが変えられた小久保裕紀はベンチに戻ってしばらく爆笑していた。その際、スコアボードには4番的場という今後一軍では絶対に見れないような光景もあったため、誰かがそれを笑っていたかもしれない。
捕手としてのリードには定評があるため、それこそバッティングがよければ間違いなく正捕手だっただろうが……。古く南海時代は野村克也、福岡移転以降も吉永幸一郎や城島健司と伝統的に打撃型の捕手が正捕手に座るホークスでは、専守防衛型の捕手は打撃面で前任者と比べられてしまうという不幸の典型である。
2000年、2003~2008年の6年間で年間打率が2割に達したシーズンが1度もない。
これが災いして一軍で正捕手になれなかったと言っても過言ではない(ちなみにホークス在籍時の通算打率は.156)。
とは言え、打球自体はライナー性のものが多く、二軍ではクリーンアップを勤めたこともある。(スラガガーもどき?)
2009年12月23日、TBSの「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」で戦力外からトライアウトを経てロッテ入団に至るまでの経緯が放映された。実質番組のメインと言うべき扱いで、的場が全国ネットでこれほど大々的に扱われたのはこれが初めてだったかもしれない。同年にトライアウトを受けていた今岡誠や古木克明に比べて知名度が高いとは思えない的場の扱いの大きさに、実況スレでは番組の視聴率を危ぶむ声もあった。
トライアウト後、ロッテに入団。川越英隆、今岡誠、那須野巧、山田秋親、的場という色んな意味で濃い二軍が誕生。
移籍一年目の2010シーズンは、まさかの開幕一軍入り。しばらくは里崎智也の控えでベンチを温めていたが、4月8日、古巣のソフトバンク戦で移籍後初スタメンマスクを被った。試合は9失点で大敗、松中に盗塁を許すというおまけつきの苦い黒星に。が、翌日里崎が怪我で二軍落ちし、復帰までしばらくスタメン捕手を務めることになった。おまけにその様子がTBSの「バース・デイ」で放映されたりもした。
里崎の復帰後も一軍に残り、バックアップとしてときどきスタメン出場。その後里崎が再び怪我をし離脱、まさかの一番手捕手に。おまけに二番手捕手が同じく低打、おまけに守備も微妙(要するに守れない的場)な斉藤俊雄という混沌とした状態に。
しかし夏頃から徐々にリードが噛み合いだし、チームは何とか3位に食い込みCS出場。すると二位西武を撃破、勢いに乗って的場の古巣、SBをも撃破し日本シリーズ出場権を獲得。的場と今岡が福岡ドームで胴上げメンバーに加わっているという、昨シーズンの状況から考えると訳の分からない事態に。
そして中日を破り日本シリーズも優勝。ベンチから真っ先に駆け寄った的場は試合に出てもないのに「下克上日本一」の見出しと共に日刊スポーツの一面を飾る。
とまあ、ロッテ移籍1年目の2010年シーズンは一軍で大活躍した的場。打撃面も好調であり打点は自らのキャリアハイを更新(19打点)、5年ぶりのホームランも飛び出した。ホークスにいた時からこれくらい働けと(ry
2011年には、新装された応援歌がAKB48の劇場曲に由来することから、AKB表記に引っかけた「MTB67」タグも使われるようになる。
マリーンズOBを父に持つAKBメンバー、倉持明日香は気づいてるのだろうか。
2012年シーズン終了後、戦力外通告を受け、現役を引退した。
2013年から、古巣の福岡ソフトバンクホークスに戻りスコアラーに就任した。
2014年からは北海道日本ハムファイターズの二軍バッテリーコーチを務める。4年間在籍し、2017年限りで日本ハムを退団。
2018年からは千葉ロッテマリーンズの一軍戦略兼バッテリーコーチを務める。ヘッドコーチを務める鳥越裕介の補佐的な立場らしい。2022年からは肩書きが「戦略コーチ兼バッテリーコーチ補佐」となる。
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
ダイエー ソフトバンク |
応援歌のピコカキコ一覧#780 | 11096 | |
ロッテ | 応援歌のピコカキコ一覧#779 | 11095 |
通算:9年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 313 | 667 | 598 | 45 | 96 | 24 | 1 | 5 | 42 | 0 | 27 | 3 | 35 | 4 | 178 | 13 | .161 | .211 |
掲示板
25 ななしのよっしん
2012/12/13(木) 04:58:38 ID: dmrjktCXbN
的場、13年間お疲れさん。
しかしまさかスコアラーという形とはいえ、
古巣に戻ることになるとは思わなかった。
26 ななしのよっしん
2013/04/24(水) 06:03:32 ID: 2+5IRAFGX0
実家はお寺で、それが理由でPL学園のスカウトを蹴った話や、オフにはお坊さんになっていた、と言う話も載せて欲しい。
27 ななしのよっしん
2013/09/29(日) 02:46:09 ID: E/2kUbFToc
斉藤和巳のセレモニーで城島がキャッチャーやってたけど、どっちかというと的場のほうがしっくり来てたと思うんだけどなぁ…
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最終更新:2024/11/26(火) 03:00
最終更新:2024/11/26(火) 02:00
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