エアシャカール 単語


ニコニコ動画でエアシャカールの動画を見に行く

エアシャカール

5.2千文字の記事
これはリビジョン 2994562 の記事です。
内容が古い・もしくは誤っている可能性があります。
最新版をみる

エアシャカール(Air Shakur、1997年2月26日生~2003年3月13日没)とは、元競走馬。皐月賞、菊花賞を制した二冠馬で、日本ダービーをわずか7cmの差で2着に敗れた、史上もっとも三冠馬近づいた二冠馬、いわゆる準三冠馬である。

森秀行厩舎所属、全盛期の主戦騎手は武豊騎手。馬名は冠名のエア+アメリカのヒップホップ、特に1990年代のギャングスタ・ラップというジャンルを語る上で外せない人物、2Pacの本名であるTupac Amaru Shakurから。
エアの冠名で知られる吉原氏はちょくちょくラッパーから名前をもらっており、1歳下のエアエミネム[1]あたりは有名だろうか。
他にはエアシェイディもラッパー由来である(エミネムのあだ名、スリム・シェイディより)

曖昧さ回避 この記事では実在の競走馬について記述しています。
この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
「エアシャカール(ウマ娘)」を参照してください。

概要

血統構成は 父サンデーサイレンス 母アイドリームドアドリーム 母父Well Decorated。
母は自身は大した馬ではなかったが近親が大活躍しており、祖母がかつて社台グループがアメリカに築き上げた拠点であったフォンテンブローファームで、場長だった吉田照哉氏が自ら考えた配合で生産し手放した名繁殖牝馬Hidden Trailという縁から輸入され、日本生産馬からエアデジャヴー(父ノーザンテースト、ミスシルバーコレクター、エアシェイディ・メサイアの兄妹の母)を輩出し、彼がデビューする頃には血統の評価が高まっていた。

デビュー前からエアシャカールは能力の高さが評判になったが、気性の荒さも評判になった。どれくらい評判になったかというと森厩舎の調教助手たちが「今日のエアシャカール担当」をくじ引きで決めるレベル。馬名由来が2Pacだからって何もそんなとこまで似なくてもいいじゃないか…(一回目)
デビュー戦は出遅れて5着も、2戦目で勝ち上がり。500万下条件で2着のあとホープフルS(OP)を格上挑戦で勝利をおさめると、いよいよクラシック戦線に駒を進める。

皐月賞トライアル、弥生賞(GII)ではフサイチゼノンの2着。しかし、そのフサイチゼノンが「フサイチゼノン事件」なる騒動で勝手に消えていったり、皐月賞がスタートしたと思ったらラガーレグルスがゲートから出られず競走中止になったりと勝手に消えていく有様であったが、そんな皐月賞では5戦4勝、フジキセキ初期の活躍馬・ダイタクリーヴァと差のない2番人気に支持され、4コーナーで外から捲ってグイーンと上がってくると豪脚で抜け出し、ダイタクリーヴァとの競り合いを制して皐月賞制覇。

次いで日本ダービーでは1番人気。その人気に恥じることなく4コーナーから大外一気のまくりで馬群を抜け出し、二冠達成か、と思わせたところでさらに外から河内騎手騎乗のアグネスフライトが強襲してきた。
「河内の夢か!豊の意地か!どっちだぁー!!」
という名実況と共に2頭並んでゴール。結果は、わずか7cmの差でアグネスフライトに凱歌が上がり、エアシャカールは二冠を逃した。
ちなみに鞍上の武豊はというと、兄弟子河内との死闘を楽しむ余裕もなく抜け出すときに一気に内にササり、後ろから突っ込んできたアグネスに併せに行ったら外にササってガンガンタックル仕掛けてアグネスを押し出しに行くシャカールをなんとかしようと悪戦苦闘を繰り広げ、最後の方はしっかり追えてなかったのでまっすぐ走ってれば二冠を楽勝したという説も一部では存在する。

その後エアシャカールは海外遠征を敢行してキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドS(国際GI)に出走。日程的に現地での前哨戦に出られなかった上、相手がエルコンドルパサーを下したモンジューとあっては分が悪く5着。この後、ダービーで見せたササリ癖が悪化していく。

海外遠征のため、休む間もなく菊花賞トライアルの神戸新聞杯(GII)に出走したが、内側に恨みでもあるのかというくらいにササリまくって3着に敗退。ちなみに勝ち馬はフサイチソニックであった。またフサイチか。しかしソニックはこの後脚を壊しリタイアした。松国タイマー乙。
それ以外のライバルとなりそうな馬もダービー馬アグネスフライト以外は尽く回避するなど、菊花賞は一騎打ちムードになった。
そして菊花賞では武豊騎手が「エアシャカールは右にヨレたがる」という癖を見抜き、内ラチ沿いを走って右にヨレないようにした。それが功を奏し、内からスルスルと伸びてきたエアシャカールは、アグネスフライトが伸びないのを尻目に、トーホウシデンとの叩きあいを制して二冠目を手中に収めた。このエアシャカールのヨレる特性を理解しての騎乗は武豊騎手屈指の好騎乗とも言われている。

エアシャカールの次のレースはジャパンカップに決まった。ジャパンカップには強力外国馬も多く参戦するが、何よりも天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)を制し、古馬中長距離路線完全制覇を目論む世紀末覇王テイエムオペラオーとの対決が注目された。
しかし世紀末覇王の壁は厚く、ジャパンカップはテイエムオペラオーが制し、エアシャカールは

加筆依頼 この項目は、編集者の資料が何者かにより焼却されたために途中の内容が大幅に省略されました。
でもまあ、世の中知ってたとしても書かない方がいい事ってあるよね。

・・・5歳の有馬記念を最後に現役を引退した。

真面目な?菊花賞後

(承前)…なんと14着。オペラオーに王者の座を賭けて挑むには器が足りないと満天下に示してしまう結果となった。
とはいえ、全盛期であり持ち前の当たりの柔らかさでイナリワンクラスの癖馬すら手足のごとく操った武豊を持ってしても
「ドタマかち割って中身が見てみたいわ(意訳)」と呆れたレベルの気性、かつ夏場の海外遠征のせいか菊花賞後体重が激減したという理由も一応存在した。気性はどうしようもないが。
休養し立て直しを掛け年明け初戦は産経大阪杯。テイエムオペラオーもここで復帰予定であり、リベンジ戦には持って来いの舞台となった。
レースではアドマイヤボスに激しくつつかれて早めに仕掛けたオペラオーを後ろから強襲。勝ったか…に見えたが、
気の悪さから横向いて集中を切らしてまたササリ癖を出したのが運の尽き、ちょうどこの日阪神に乗りに来たアンカツが駆る同い年、メジロライアンリャイアン産駒トーホウドリームの乾坤一擲・一世一代・全力投球その他諸々的な末脚にオペラオーやボスごと差され2着。ここで勝ってりゃまた違った気もするが…
天皇賞(春)は切れ味勝負なら良かったのだが馬場がやや重くなり、集中なんて出来はしない気性では勝てるはずもなく8着。せめて同じ京都の菊花賞でササリ癖を制御した武豊だったらなあ。(春二戦は蛯名正義が主戦)
その後、宝塚記念でメイショウドトウの悲願を後ろで祝福して春は終了。秋に捲土重来を期すが肺炎でお休みとなった。
こうして、テイエムオペラオーにリベンジする機会は永遠に失われたのだった…

その後、5歳の春に産経大阪杯で復帰しサンライズペガサスの末脚に屈したものの肺炎からの復帰戦としては上々な感じに纏めた。
それが評価され次走金鯱賞では菊花賞トライアルの神戸新聞杯以来となる一番人気を背負うが、ツルマルボーイの末脚に屈し2着。なんか末脚に屈してばっかりだなあ。
自分以外GⅠ馬がおらず威光を示すチャンスだった宝塚記念もダンツフレームの悲願を後ろから祝う形の4着となった。この大チャンスでも内側に何の恨みがあるのかってくらいササっており、ササってなきゃ勝ってた……というのは流石に楽天的か。
なお、3着にはクラシックで除外の雨あられを受けてやけくそで?出走して逃げたローエングリン(3歳、最高成績:オープン勝ち)が入ったため、彼と彼の世代の評価は地の底に埋まった。秋のタップダンスシチーの本格化やイーグルカフェの復活、翌春のエイシンプレストンやアグネスデジタルの復活で世代の評価自体は掘り起こされたが、みんな揃ってマル外だったので、内国産馬のみで見た場合はオサイチジョージすらいないみたいな感じになってしまった。
まあオサイチジョージの世代もそうだが、上下の世代が元気すぎるとは言える。

秋はもう威光も何もなく秋古馬三冠路線を3連敗(4→12→9)、5歳限りで引退した。え?中山代替開催の天皇賞(秋)4着だから形は示せただろって?2着馬が中山が苦手すぎるため、引退レースを有馬記念ではなく香港ヴァーズにする予定だったナリタトップロード[2]だったので…

その後、種牡馬入りするが初めてのシーズンに僅かな種付けをした後に事故で死亡。何もそんなところまで2Pacに似なくてもいいじゃないか…(二回目)[3]
11頭に種付を終えたあとであったが、受胎し無事出産までこぎつけたのはわずか4頭。すべて牝馬だったものの、産駒を残せたのは中央唯一の勝ち上がり馬エアファーギーと、マグナーテンの母マジックナイトの産駒を母に持つマジブランシェのみであった。

菊花賞の後は母の名前であるI Dreamed a Dream(和訳:夢破れて[4])がこの上なく似合う馬生を送ってしまったエアシャカール。産駒も血を繋ぐ可能性は限りなく少なく、もうじき記録からは「最弱の二冠馬」「レースは最低、でもドラマは最高なダービーでアグネスフライトに負けたヤツ」「とにかくササるヤツ」ということしか残らなくなることであろう。
せめて現役時代を見た人はそれ以外のシャカールを語り継いでいってほしいものである。馬の扱いに慣れた厩務員に避けられるレベルの気性やササリ癖というとてつもないハンデがありながら二冠馬になった能力は間違いない。多分。
皐月賞の捲りは世代レベル云々を抜いても相当な迫力があるし、ダイタクリーヴァも普通なら勝っていただろう。多分。

血統表

*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss
*アイドリームドアドリーム
1987 鹿毛
FNo.4-r
Well Decorated
1978 黒鹿毛
Raja Baba Bold Ruler
Missy Baba
Paris Breeze Majestic Prince
Todor Jet
Hidden Trail
1975 鹿毛
Gleaming Herbager
A Gleam
Tobacco Trail Ribot
On the Trail

クロス:アウトブリード

関連動画

さすがは準三冠馬

わずか7cmで・・・(よく見ると最後の方、アグネスフライトが相当外に押されている)

関連商品

ニコニコ市場は2023年11月に終了しました。

関連コミュニティ

ニコニコミュニティは2024年8月に終了しました。

関連項目

  • 競馬
  • 競走馬の一覧
  • 武豊
  • アグネスフライト
  • 準三冠馬
  • エアメサイア…先述の半姉エアデジャヴーの娘。彼女も彼女の息子のエアスピネルも、イマイチ勝ちきれないところが似てしまっている

外部リンク

脚注

  1. *余談になるが、エミネムは2Pacの大ファンであり、現在の2Pacの楽曲の権利は大半がエミネムが買い取っているとか。
  2. *詳しくは彼の記事に譲るが、関西馬だったこともあり中山を走った機会はそこまでないものの、4角先頭の勢いのまま押し切って勝った弥生賞以外は負けっぱなしで、中山で代替開催だった02天皇賞秋が弥生賞以来の連対であった。
  3. *2Pacについてはニコニコ大百科にも記事があるものの、内容が激薄なのでWikipediaなりを参照していただきたいが、彼自身も大変問題のある(ファンにア○ルセック○を強要して実刑を食らうなど)人物だったとはいえ、色々あって出身地だった東海岸のバッドボーイレコードから西海岸のデスロウレコードに移ったあと、かつてのレーベルメイトであったノトーリアス・B.I.G.ら東海岸勢を激しくディスり憎悪を煽り立てるなど対立した果てに、銃撃されて36歳で死ぬという末路を迎えた。ノトーリアス・B.I.G.も銃殺されるなど、1990年代のヒップホップに消せない傷を残していってしまった。
  4. *直訳だと私は夢を夢見た、くらいの感じだが、オーディション番組でスーザン・ボイルが歌って彼女の運命を切り拓いたミュージカル版レ・ミゼラブルの楽曲は夢やぶれて、という訳である。若き日の社台総帥・吉田照哉氏がフォンテンブローファームという夢破れて手放したヒドゥントレイルの子にはちょっと皮肉めいてはいるが、ピッタリなのかもしれない。
関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
紲星あかり[単語]

提供: 核砂糖入り紅茶

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/23(火) 00:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/22(月) 23:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP