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 むかしの日本橋は、長さが三十七間四尺五寸あったのであるが、いまは廿七間しかない。それだけ幅がせまくなったものと思わねばいけない。このように昔は、と言わず人間と言わず、いまよりはるかに大きかったのである。
 このは、おおむかしの慶長七年に始めて架けられて、そののち十たびばかり作り変えられ、今のは明治四十四年に落成したものである。大正十二年の震災のときは、のらんかんに飾られてあるが、焔に包まれてまっかに焼けた。
 私の幼時に愛した木版の東海道五十三次双六では、ここが振りだしになっていて、幾人ものやっこのそれぞれ長いを持ってこののうえを歩いている画が、のどかにかかれてあった。もとはこんなぐあいに繁であったのであろうが、いまは、たいへんさびれてしまった。が築地へうつってからは、いっそう名前もすたれて、げんざいは、たいていの東京名所絵葉書から取除かれている。
 ことし、十二月下旬ののふかいに、こののたもとで異人の女の子がたくさんの乞食の群からひとり離れて佇んでいた。を売っていたのは女の子である。
 三日ほどまえから、黄昏どきになると一束のを持ってここへ電車でやって来て、東京市の丸い紋章にじゃれついているの唐獅子の下で、三四時間ぐらい黙って立っているのである。
 日本ひとは、おちぶれた異人を見ると、きっと系の露西亜人にきめてしまう憎い習性を持っている。いま、この濃霧のなかで手袋のやぶれを気にしながら花束を持って立っている小さい子供を見ても、おおかたの日本ひとは、ああロシヤがいる、と楽な気持でくにちがいない。しかも、チエホフを読んだことのある青年ならば、は退職の陸軍二等大尉傲慢貴族、とうっとりと独断しながら、すこし歩をゆるめるであろう。また、ドストエーフスキイを覗きはじめた学生ならば、おや、ネルリ! とを出して叫んで、あわてて外套の襟を掻かきたてるかも知れない。けれども、それだけのことであって、そのうえ女の子に就いてのふかい探索をして見ようとは思わない。
 しかし、かひとりが考える。なぜ、日本橋をえらぶのか。こんな、人通りのすくないほの暗いのうえで、を売ろうなどというのは、よくないことなのに、――なぜ?
 その不審には、簡単ではあるが頗るロマンチックな解答を与え得るのである。それは、彼女たちの日本橋に対するに由来している。ニホンでいちばんにぎやかな良いニホンバシにちがいない、という彼等のおだやかな判断に他ならぬ。  女の子の日本橋でのあきないは非常に少なかった。第一日には、が一本売れた。お客は踊子である。踊子は、ゆるく開きかけているい蕾を選んだ。
「咲くだろうね」
 と、乱暴な聞きかたをした。
 女の子は、はっきり答えた。
「咲キマス
 二日には、酔いどれの若い紳士が、一本買った。このお客は酔っていながら、うれい顔をしていた。
「どれでもいい」
 女の子は、きのうの売れのこりのその花束から、い蕾をえらんでやったのである。紳士は盗むように、こっそり受け取った。
 あきないはそれだけであった。三日は、即ちきょうである。つめたいのなかに永いこと立ちつづけていたが、もふりむいてれなかった。
 のむこう側にいる男の乞食が、松葉つきながら、電車みちをこえてこっちへ来た。女の子縄張りのことで言いがかりをつけたのだった。女の子三度お辞儀をした。松葉乞食は、まっくろい口を噛みしめながら思案したのである。
「きょう切りだぞ」
 とひくく言って、またのなかへ吸いこまれていった。
 女の子は、間もなく帰り仕度をはじめた。花束をゆすぶって見た。屋からを払いさげてもらって、こうして売りに出てから、もう三日も経っているのであるからはいい加減にしおれていた。重そうにうなだれが、ゆすぶられる度毎に、みんなあたまを顫わせた。
 それをそっと小わきにかかえ、ちかくの支那蕎麦屋台へ、寒そうに肩をすぼめながらはいって行った。
 三晩つづけてここでを食べるのである。そこのあるじは、支那ひとであって、女の子を一人並の客として取扱った。彼女にはそれが嬉しかったのである。
 あるじは、の皮を巻きながら尋ねた。
「売レマシタカ
 眼をまるくして答えた。
イイエ。……カエリマス
 この言葉が、あるじの胸を打った。帰するのだ。きっとそうだ、と美しく禿げた頭を二三度かるく振った。自分のふるさとを思いつつ釜からの実を掬っていた。
「コレ、チガイマス
 あるじから受け取った黄色い鉢を覗いて、女の子が当惑そうにいた。
「カマイマセン。チャシュウワンタン。ワタシノゴチソウデス
 あるじは固くなって言った。
 は十銭であるが、叉焼は二十銭なのである。
 女の子は暫くもじもじしていたが、やがて、の小鉢を下へ置き、肘のなかの花束からおおきい蕾のついたを一本引き抜いて、差しだした。くれてやるというのである。
 彼女がその屋台を出て、電車停留場へ行く途中、しなびかかった悪いを三人のひとに手渡したことをちくちく後悔しだした。突然ばたにしゃがみ込んだ。胸に十字を切って、わけの判らぬ言葉でもってしいお祈りをはじめたのである。
 おしまいに日本語を二言囁いた。
「咲クヨウニ。咲クヨウニ

太宰治『葉』より抜

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