マルタ(丸太)とは、人体実験の被験者を指していた隠語であるといわれる。
大日本帝国陸軍の関東軍に所属した「関東軍防疫給水部本部」、通称号「満洲第七三一部隊」、すなわちいわゆる「731部隊」やその周辺で使用されていた言葉であるという。
概要
731部隊に所属していた隊員等による証言にたびたび登場する言葉である。マルタが人体実験のために落命した際には「マルタを1本倒した」などといった表現が使われていたと語られるところから考えるに、語源は丸い棒状の材木の一種を指す「丸太」であったものか。
証言が正しいとするならば、指を失いかねない凍傷実験(731部隊員により講演記録『凍傷ニ就テ』に登場するような)などの過酷な研究に参加させられたり、さらには病原体に感染させられたり爆弾炸裂実験の対象とされたりして多数の「マルタ」が生命を失ったりしたとされる。
これらの「マルタ」と呼ばれた人々の出所としては、抗日活動団体の構成員や敵国のスパイと疑われて逮捕され有罪とされた人々を、憲兵組織が「特移扱(特別移送扱い)」や「特移送」という呼称の元に731部隊へと送り込んでいたものであると語られることが多い。
731部隊の隊員の証言の例
三角武
以下の証言記録は、NHKが2017年12月19日に放映したテレビスペシャル『731部隊の真実 ~エリート医学者と人体実験~』内に使用された映像内にあるもので、同番組のウェブサイトにも掲載されている。
当時を知る元部隊員、三角武さんは事実を知ってほしいと今回初めて取材に応じた。部隊が保有する飛行機の整備に携わった三角さんは、医学者の実験のため、囚人が演習場へ運ばれたときに立ち会っていた。囚人は頭を丸坊主に刈られ、「マルタ」と呼ばれていたという。
「杭を打ってね、ずーっと杭を打って、そこにマルタをつないどくんです。実験の計画に沿って憲兵が連れて行って、“何番の杭に誰を縛る”とかって、“つなぐ”とかっていう、やるわけね」(三角さん)
森下清人
以下の証言記録は、731部隊の少年隊に所属していた「森下清人」に1991年9月にインタビューしたという証言記録。そのインタビューを行った医師の個人サイトの一ページとして公開されている。
以下に「マルタ」という言葉が登場するうち一部のもののみを引用したが、長大なインタビューであるので以下の引用部分以外でも「マルタ」という言葉は何度も登場する。上記のリンク先から「マルタ」でページ内検索を。
呂号棟1階でずっと仕事をしている、他の所にはいかないんですか?
いや、あります。それは柄沢班でも小動物を飼育していましたから、その結果の菌を、ペストならペスト、チフスならチフスを動物から培養して、それをマルタに打つわけです。そのマルタを隔離室に入れて、死ぬまで観察するわけです。
ああ、中に入れという時は解剖は終っているんですね。身体は残っていましたか?
身体そのものは残っていましたね。目的がありますからね。このマルタには何々をうってあるからどこどこを調べたいという具合ですからその調べたいところだけ切っているんですね。ほで、そこから白金耳ですくうんですね。
そういうふうな内部の仕事に入られて、焼きついているような思い出何かありますか?
というのは、うすうすは聞いたことがあったが、ああこれがマルタなんだな、ということと、容疑はなんだろな、スパイ容疑かなとか。
死刑囚という認識はあったんですね?
ありました。というのが七三一に入って来るのがもう消耗品で入って来ますからね。人間じゃない。品物だから。マルタというのがもう消耗品ですから。
そうです。
それは後でじっくり聞かせていただくつもりですが、まあ、そういうふうにマルタ小屋から隔離室に連れて来る、それから観察室に行く。観察室のなかで実験が始って、そこで亡くなったら解剖室につれていって解剖して、焼却する。で、身体の各部はホルマリンづけにすると。そういう一連の流れということで理解してよいですね
731部隊員以外からの証言
以上は731部隊に所属していた人々の証言であるが、731部隊に「マルタ」を引き渡していた憲兵組織に所属していた人々からも「マルタ」に関する証言は出ている。
以下の証言記録は、憲兵の戦友会の全国組織である「全国憲友会連合会」がまとめて1976年に出版した回想録『日本憲兵正史』内の記載である。
石井部隊は憲兵とそう深い関係もないので省略するが、全く内容に触れないのでは不親切とも思われるので、その一端を紹介しておく。まず、人体実験の問題が巷間噂され、現在も多くの出版物に面白く描かれているが、これは事実で、チチハル憲兵隊などから、ハルピン憲兵隊宛「丸太一本送る」と連絡があると、これは死刑囚を石井部隊へ送ることであった。しかも、この丸太である死刑囚は、石井部隊に送られると、起居就寝から食事運動に至るまで最高の待遇をされて、健康な死刑囚に仕立上げられる。部隊内の食事材料はすべて自給自足であった。その食事たるや栄養満点のものである。しかも、死刑囚の独房というより居室は、完全滅菌された部屋で、冷暖房から太陽の光線まで、これまた最高の設備である。さらに、医者はつねに健康管理を指導するのであるから、数ヵ月経過すると肉体的には完全に健康な死刑囚となる。この死刑囚にペスト菌をもつノミをくわせ、健康な人間がペスト病になっていく経過を記録研究する。この実験のやり方や収容されていた死刑囚そのものに、実は問題もあったのだが、これは憲兵史なので遠慮させてもらう。とにかく、細菌、毒ガスの研究が、学問的に見る限り素晴らしいものであったのは事実である。その他、多くの研究成果があるが、これまでも石井部隊についてはいまわしき流言が多く、迂潤に書けないのが残念である。石井部隊の研究、実験方法と戦争に利用されたのではないかというところから、多くの非難があるのは当然だが、正しく人類社会に利用される限り、研究そのものは貴重である。
以上の記載がこの書籍中に確かにあることは、インターネット上でも確認可能である。Googleブックスの本書籍のページで「この書籍内から」の検索ボックスに入力して上記の文章内のキーワードを検索していくと、少しずつではあるが以上の文章全体がプレビューにて確認できる。
戦時中の記録
防衛庁防衛研究所図書館には通称『大塚備忘録』と呼ばれる「大塚文郎」という軍医の日誌の写しが保管されており、その中のごく一部ではあるが1944年の記録として「マルタ実験」「丸太500名」「丸太使用実験」といった記述が細菌実験に関する文脈で登場するという。
この文書はインターネット上にスキャン画像等が存在しておらず、また現在では写しの公開もされていないため直接の確認は困難だが、公開されていた頃に閲覧して内容を転載した書籍や文書がいくつかあり、それらの書籍・文書の内容紹介というかたちでいくつかのウェブサイトに文面が掲載されている[1][2][3]。
終戦後間もなくの記録
ジャーナリスト・ノンフィクション作家の「青木冨貴子」氏が、731部隊の部隊長であった石井四郎に関する取材していた際、2満洲時代から石井部隊に勤めて石井四郎の身の回りの世話をしていた女性「渡邊あき」(夫の「渡邊吉蔵」も石井部隊に所属)に2003年に出会った。そしてその渡邊あき氏は石井四郎から預かったノートがあったはずだと話した。
さらにしばらく経ってから渡邊家より青木冨貴子にノートが見つかったとの連絡が入り、青木が再訪問して確認したところ、片方は「1945-8-16終戦当時メモ」、もう片方は「終戦メモ1946-1-11」と表紙に記載された石井直筆のノートであったという(ちなみにこれらの日付は、内容の日付からして「完成した日付」ではなく「書き始められた日付」であるようだ)。この顛末は2005年発売の青木によるノンフィクション書籍『731』(新潮社)にまとめられている。
これら2冊のノートは備忘録のような石井四郎個人用のメモであったようで、本人だけがわかればよいという目的で記載されたためか不明瞭な記載が多かった。しかしそのうち、表紙に「1945-8-16終戦当時メモ」と記された方のノートに以下の記載があった。
ちなみにここで「丸太」に次いで記載がある「PX」とは何かについてだが、これはおそらく731部隊で生物兵器として研究されていた(上記の『日本憲兵正史』からの引用内にも登場する)「ペスト感染ノミ」を指す言葉であると思われる。
青木の著作より数年後、2011年に国立国会図書館関西部で発見された『金子順一論文集』内には、『PXノ効果略算法』というペストに感染させたノミを航空機から散布した際の効果を論じた論文がある。
そして石井部隊と関連が深い陸軍軍医学校が出版した書籍『陸軍軍醫學校防疫研究報告 第2部』(陸軍軍医学校防疫研究報告 第2部)内には「村國茂」氏による『ケオピスネズミノミ(Xenopsylla cheopis Rothschild)に関する実験的研究 第5編』[5]という研究報告が掲載されており、
P攻撃用武器たるP菌感染蚤輸送用規制策に当り、先ず以て考慮すべき重要なる条件は生きたる運動自由なる蚤が斯くの如き容器の間隙より遁走せざることなり
などと記されているという。
これらを合わせて考えると、「PX」とは、ペストを指す「Pest」あるいは「Plague」と、上記のケオピスネズミノミの学名「Xenopsylla cheopis Rothschild」(あるいは、単にネズミノミ属を広く指す「Xenopsylla」)の頭文字をとったものと思われる。
もちろん「丸太」や「PX」それ自体を終戦の混乱下で内地に輸送することは困難と思われ、上記の石井のノート内の記述「内地ヘ出来る限り多く輸送する方針 丸太-PXを先にす」とはおそらく「丸太やペスト感染ノミに関連する研究データを優先的にできる限り多く日本に移送する」といった意味合いだったかと推測される。
埋葬・慰霊
上記のような証言が事実であればこれらの「マルタ」の中には、人体実験に使用されて落命したものたちが多数存在したはずであるが、これらの人々がどのように埋葬され慰霊されたかに関する情報は乏しい。1945年8月に731部隊が施設を破棄して撤収するに際しては、慌ただしく多数のマルタを処分して遺体を燃やして河に流した等の証言はあるようだ。しかし731部隊の終焉時ではなく日常的に生じていたはずの「マルタ」の遺体はどうしていたのかについての情報が少ない。
人体実験の対象の慰霊などしないのでは?と思う人もいるかもしれないが、当時の日本軍の軍医ら(731部隊とは別)が行った人体実験に関する記録とされる別の文書『駐蒙軍冬季衛生研究成績』には、人体事件の対象となった囚人らの慰霊祭の写真や捧げられた弔辞、そして埋葬について触れる文章が掲載されている。そのため731部隊でマルタの埋葬や慰霊が行われていてもおかしくはないと思われる。
ただし『駐蒙軍冬季衛生研究成績』においては人体実験の被験者は「生體」と表現されておりまだ生物扱いされてはいるが、「マルタ」という「モノ」扱いの名称で呼んでいた731部隊では扱いもそれなりであり慰霊など行われていなかった、と考えることもできよう。
関連項目
脚注
- *731部隊(4)高級軍幹部の証言 - 南京事件-日中戦争 小さな資料集:『季刊戦争責任研究』No2(1993年冬季号)に転載された内容を紹介している。
- *ぼんぼん雑記: 細菌戦関係史料:吉見義明・伊香俊哉『七三一部隊と天皇・陸軍中央』岩波ブックレット389(1995年)に転載された内容を紹介している。
- *西里扶甬子『生物戦部隊731』-2: さとし君の日ごろ:西里扶甬子『生物戦部隊731―アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』(2002年)に転載された内容を紹介している。
- *731部隊長メモの要旨 | 全国ニュース | 四国新聞社
- *165号 村國茂「ケオピスネズミノミ(Xenopsylla cheopis Rothschild)に関する実験的研究 第5編」(「15年戦争と日本の医学医療研究会」ウェブサイト内「陸軍軍医学校防疫研究報告」プロジェクトチームによる、号別概要解説ページより)。
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