凍傷ニ就テ単語

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凍傷ニ就テ』とは、いわゆる「731部隊」の人体実験に関連する医学文書(学会発表記録)である。

に記載された日付によれば「昭和十六年」(1941年)にまとめられたもの。

概要

731部隊」に関連する、当時の「同部隊側が人体実験について記載した」文書で現在に残るものは少ない。その中で、この文書は例外的に残存しているごく少数のもののひとつである。

とは言え他にも『きい弾射撃ニ因ル皮膚傷並一般臨床的症状観察』『破傷素並芽胞接種時にける筋『クロナシー』に就て』など、現存する文書は他にも皆無ではない。しかしこの『凍傷ニ就テ』は、日本政府機関国立公文書館」のデジタルアーカイブとしてインターネット上で全ページの画像が開されているという、他にない特異な点がある。

開画像は一部画質不良であること、また印刷文と手書き文が混じっていることなどから、判読しがたい部分も混じっている。しかし大半のページが明瞭に判読可である。

この『凍傷ニ就テ』の表には

凍 傷 ニ 就 テ

    昭和十六年十月二十六日
        満洲七三一部隊
            陸軍技士  吉   人

と印刷されているが、各所に後から追記されたと思われる英語のメモ(日本語の英訳など)やスタンプも押されている。ここからもわかるように、この文書は一旦米国GHQ)により接収された後に返還されたものである。

国立公文書館 デジタルアーカイブ」ではこの文書は「米国から返還された公文書」>「〔返・旧陸海軍関係〕」の位置にカテゴライズされている。「返」とは、米国から返還されて1974年国立公文書館に搬入された150ケース(約2200点)分の文書のうち、ケース付箋が貼られていた旧陸海軍関係(=返)、付箋が貼られていた内務省等関係(=返)に大別していた[1]ことに由来する。

の次のページには「凍傷ニ就テ(第一五満洲哈爾支部特別講演)」とあり、内部の末尾付近には「昭和十六年十月二十五日哈爾にて口演」とある。つまり1941年10月25日地方医学会で口演した内容を、翌10月26日に冊子にまとめたものということになる。

本文書については、731部隊人体実験を否定しようとする人々からも「捏造である」と言った批判はあまり聞かれない。下記でも詳細に述べるように「人体実験だけをクローズアップした内容ではなく、全体としては凍傷について扱った医学的な内容である」ことがその理由ではないかと思われる。「人体実験冤罪を着せようとして捏造された資料」とするには、あまりにも「人体実験」の部分が立たないのだ。実際に、医学的知識しにこの資料を読んだ人から「上の資料見て今もある治験・人体実験アルバイトとどの程度違うのか正直、素人には分かりません、、、、exit」といった感想も出るほどである。解説を加えなければ「を失うような過酷な人体実験を行っている」ということは読み取りづらい。

人体実験

この文書『凍傷ニ就テ』には、人体実験に関する記録が図解や表も加えて明記してある。

しかし、この文書内での人体実験の描写と、戦後に出版された731部隊人体実験告発・糾弾するような書籍(例えば有名な『悪魔の飽食』など)での描写には、その傾向に大きな差がある。

この文書中で明記された人体実験には、被験者がを失うと思われるような過酷な実験も混じっている。しかし「学生看護婦を対とした、そこまでのは及ぼさないであろう実験」もまた混じっている。また、を失うような過酷な実験については「被験者らは何者であったのか」「被験者がその後どうなったか」といったことは省いてあり、ごく淡々と実験結果に関する医学的な論考が宣べられるのみである。また、実験に関する内容がと言うわけではない。「これまでに知られている凍傷に関する知見などがられていき、その中で筆者が行った実験についても触れられ、凍傷の予防や治療について論じられる」という形式である。

本文書は「医学会発表記録」である。その学会発表の題は「凍傷について実験で得た知見もまじえて宣べ伝える」ことであろうし、もちろん「実験義的な問題があるかどうか」や「実験は何者で、その後どうなったのか」などを論議の対としたかったわけもない。そのため「義的な疑念」や「実験となった者たちの運命」などを題とした戦後の書籍とは異なり、過酷な実験もそうではない実験も混合されて発表・記載され、そしてその対についての情報で「不必要」な部分は省かれているものと思われる。

なお「過酷ではない凍傷実験も行われていた」というこの文書内の記録は、元731部隊員であった人物の記録とも符合するものである(本記事下部「関連する別文書」の節を参照)。

ちなみに、「非人的と思われる実験については被験者の素性を全く記さないが、他の実験の被験者や患者の素性は記す」というこの手法は731部隊関連の他の医学記録についても例がみられるものである。たとえば『日本染病誌』(日本伝染病学会雑誌)に1967年1968年に掲載された「死の危険がある伝染病健康人に意図的に感染させる」という実験に関する論文[2]においても同様の特徴が認められる。

実験1

本文書内で最も過酷と思われる実験がこの「験1」(実験1)である。

要約すれば「の皮膚温と容積を計測できるようにしておいて、下20℃のを付ける。そして皮膚温と容積の変化を見る」というものである。グラフ験1 凍傷発生時ノ皮膚温並ニ容積ノ変化」と図解「験1´ 凍傷発生時 皮膚温、容積描画装置ノ原理図」が添えられている。

本文中では実験結果についてこう記されている。

図ニ見ル如ク容積ハ皮膚温度低下ト共ニ減少シ血管ノ収縮ヲ示ス 然レ共アル程度皮膚温低下スレバ反ツテ容積増加ヲ示ス奌アリ、之恐ラク血管麻痺ニヨル血ニヨルモノナラン
シテ更ニ温度低下ガケバ動脉収縮ノ爲ニ容積ハ益〻減少シ遂ニ皮膚温ハ零度以下ニ低下ス。
コレ組織過冷却ノ現ナリ

易な現在表記への訳:「図のようにの容積は皮膚の温度低下と共に減少する。これは血管の収縮を示している。だが、ある程度まで皮膚温が低下するとかえって容積が増加し始める。おそらく血管麻痺して血が溜まることによるものだろう。そして更に温度低下が続けば動脈収縮のためにの容積はますます減少していき、皮膚温は零度以下にまで低下する。これが組織過冷却の現である。」)

以上の部分までであれば、「確かに辛そうだがそこまで過酷だろうか?」という印を受けるかもしれない。

だが、文中にある以下の記述がこの実験の大きな問題点を示している。

シテ点ニテ皮膚温ハ急ニ上昇シコノ時白色ナリ固結ス
容積モコノ時急ニ増加ス

之ハ過冷却状態ガ破レテ組織氷結スル爲ニ温度上昇シ同時ニ氷結ヨリテ容積膨スルモノト考フベキナラン

易な現在表記への訳:「そしてある点において皮膚の温度は急に上昇し、白色になり固結する。の容積もこのとき急に増加する。これは過冷却状態が破れて組織が氷結する時に温度が上昇し、同時に氷結することで容積が膨するものと考えるべきだろう」)

つまりこの実験では、「くカチコチになって膨するまで、つまり全に凍結するまで」冷却しているのである。

さらに後の段の記述により、この「実験1」が動物実験ではなく人に凍傷を発生させていたこともわかる。

論コノ血管ニハ個人的ニ大ナル差(体質的差異)アリテ人ニヨリテハコノ抵抗性甚ダ小ニシテ容易ニ凍傷ヲ生シ得ル事ハ験1ノ例ニ明カナレ共

易な現在表記への訳:「もちろんこの血管反応には体質によって大きな差があり、人によってはこの抵抗性が非常に小さく、すぐに凍傷が生じてしまうことは実験1の例で明らかであるが」)

この文書内には、この実験1の対となったのがどういった人々であったのか、そしてこの実験の後どうなったのかは記載がない。

しかし「人間凍結するまで冷やして凍傷を起こすと、その後どうなるか?」について、何事もなく事に済んだと考える人はあまりいないだろう。登山家などがに深刻な凍傷を負った際にを失った実例が多数あることを考えれば、想像に難くないのではないだろうか。

実験3、実験5

験3」(実験3)「験五」(実験5)も、較的過酷な実験である。

実験3においては「廿四時間不眠後」(24時間不眠後)と「二日間絶食後」等の条件下で「零度ノ氷水中ニ、三〇分間浸漬」する実験を行ったことが示され、実験5においては「絶食2日後」「絶食3日後」「不眠」(一不眠)等の条件の下に「抗凍傷数」を計測したことが示されている。

24時間不眠させられるのも、2~3日間絶食させられるのも過酷ではあるだろう。しかし「実験1」とべれば、を失う危険が低減されている分かなりマシな条件ではあったかもしれない。

ただしこれらの実験についても、実験者の素性や実験後の運命については記載がない。

関連する別の文書・証言

著者による戦後論文

この『凍傷ニ就テ』の著者として表に名が載せられている人物は、ソ連参戦により危機した731部隊から日本への生還に成功している。

そして戦後1951年には凍傷に関する医学論文を著している。

こちらの論文でも上記の実験1と類似した内容の実験を行ったことを報告しているが、こちらでは「白色硬結するまで冷却する」といった明らかに非人的な内容は記載されていない。

実験については

The temperature reaction in ice-water was examined on about 100 Chinese coolies from 15  to 74 years old and about 20 Chinese pupils of 7 to 14 years.

(和訳:「氷内での体温反応は、15歳から74歳までの100名の中国人および7歳から14歳までの約20名の中国人生徒を対として実験を施行した。」)

とあるため、中国で行われた実験であることが推定される。また「Japanese students」を較対とした表も掲載されている。

なお、赤子に対して類似の実験を行ったことという記載もあり、

Though detailed studies could not be attained on children below 6 years of age, some observations were carried out on a baby. As is seen in fig. 2, the reaction was detected even on the 3rd day after birth, and it increased rapidly with the lapse of days until at last it was nearly fixed after a month or so.

(和訳:「詳細な研究は6歳以下の小児においては達成できていないが、児に対する少々の観測は実施された。図表2に示すように、この反応は生後3日においてすら観測され、日を追うごとに速に増大していくき、最終的に生後1か後かそれ以上の時点で安定する。」)

とのことである。

ハバロフスク裁判における証言記録

終戦4年後に、通称「ハバロフスク裁判」と呼ばれる軍事法廷が旧ソ連で行われ、元731部隊であった捕虜が裁かれた。後にその裁判の音記録NHKが発見し、2017年テレビ番組NHKスペシャル 731部隊真実エリート医学者と人体実験~」として放映している。

その中には凍傷を引き起こす実験に関する、以下のような記録もあった。

吉村技師から聞きましたところによりますと、極寒期において約、下20度ぐらいのところに監におります人間を外に出しまして、そこに大きな扇風機をかけましてを送って、その囚人の手を凍らして凍傷を人工的に作って研究しておるということを言いました。」(731部隊 軍医 西俊英)
人体実験を自分で見たのは、1940年の確か12月頃だったと思います。まず、その研究室に入りますと、長い椅子に5名の中国人のその囚人を掛けておりました。それで、その中国人の手を見ますと、3人は手のがもう全部くなって落ちておりました。残りの2人はがやはりくなって、ただだけ残っておりました。吉村技師のそのときの説明によりますと凍傷実験の結果、こういうことになったということを聞きました。」(731部隊憲兵班 倉員人)[3]

ハバロフスク裁判の言については「戦勝が、捕虜として捕まえている相手を裁いたものであるため、いくらでも捏造できるではないか」と批判するもある。

しかし上記のような言が、731部隊由来の一次資料である『凍傷ニ就テ』の内容とよく符合することは否定しがたいところであろう。

元731部隊員であった人物に医師がインタビューした証言記録

ある日本医師の個人サイトにおいて開されている、元731部隊少年隊に所属していた患者に1991年9月インタビューしたという記録。私人の個人サイトによる記録ではあるが「サイト内においてこのページ以外のその他のコンテンツが豊富であり、それらの内容の具体性から医師を騙った偽サイトである可性もほぼない」と判断できるため、参考として挙げる。

かなり長い記録だが、凍傷実験に関する部分を抜して引用すると

吉村

これは覚えています。技師ですね。それこそこれがあの、凍傷実験やってた、々もやらされた、

あなたたちも?

部屋のなかにこのくらいの水槽作って、掛けて中に氷入れて、足をつけて、ほでどのくらい慢できるかとですね。それで帰るときようかんとかビスケットくれる。

かなり冷たいですか?

冷たいを通りこすですね。切れるくらい。

どのくらい慢できましたか?

えーと、15分くらい。全然感覚なくなります。

マルタの場合はそんなもんじゃない?

ええ、そんなもんじゃない。をかけて外に出すんですね。

吉村先生は覚えてますか?

ええ、この方はちょっと厳しいというか、研究熱心で、いかにも先生という感じでしたね。年は・・・々が若かったから年配に見えますわね。やから50歳くらいに見えましたね。脊は高いです。痩せがたで。

とっつきにくい先生

いや、そういうことじゃなくて凍傷に関して研究が熱心でしたね。とことんやるという感じでね。

凍傷にはなりませんでしたか?

いや々は室内だから。慢できなくなれば止めれるから。ほで、一人一人のグラフが出るんですね。

「過酷ではない凍傷実験も行われていた」「グラフが出ていた」という、『凍傷ニ就テ』内の記録と符合するような内容がられている。

関連項目

脚注

  1. *公文書の世界 - 12.米国から返還された公文書 : 国立公文書館exit
  2. *池田 苗夫, 流行性出血熱の流行学的調査研究, 日本傳染病學會雜誌, 1967-1968, 41 巻, 9 号, p. 337-346exitおよび池田 苗夫, 流行性出血熱のシラミ,ノミによる感染試験, 日本傳染病學會雜誌, 1968-1969, 42 巻, 5 号, p. 125-130exit
  3. *731部隊の真実 ~エリート医学者と人体実験~ | NスペPlusexit

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凍傷ニ就テ

1 ななしのよっしん
2020/02/09(日) 00:45:43 ID: LsSBlYJMMz
良記事ですが、質問並びに要望をさせていただきたい
・質問
事中のハバロフスク裁判の言から「『凍傷ニ就テ』の内容とよく符合することは否定しがたい」とするのは早急過ぎるのではないか。(論文と言の内容がずれている、または論文に記述されていない事例が言されているのではないか)
実験中では中実験ばかり書かれていて、が全てなくなるほどという感じはしない。(凍傷を来した明確な事例も1件のみ)
また氷を用いた実験ばかりで、外に出して凍らせたという言と食い違う。そもそも論文内で、風速と体感温度の話は一般的知識が述べられている程度のように見受けられた。
「否定しがたい」が「凍傷実験があったのは間違いない」という意味ならば否定しませんが、「論文の内容と一致する」と言った意味であれば少し違うように思います。

・要望
事中引用pdfページ数の対応を付記してほしい
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