決意と闘志
力の全てを出し尽くして
それでも栄冠は遠かった。
やれることはやったと
ため息とともに空を見上げていた。けれどもう
ささやかな満足感などいらない。
本当に欲しかったものを
いま私は掴み取ったから。
勝負にこだわる強い決意と
この一瞬にかける熱い闘志で。
リトルアマポーラ(Little Amapola)とは、2005年生まれの日本の競走馬。黒鹿毛の牝馬。
2008年のエリザベス女王杯をポルトフィーノの2着制し、翌年のエリザベス女王杯では「これが競馬の怖ろしさ!」の立役者になってしまった馬。
主な勝ち鞍
2008年:エリザベス女王杯(GI)、クイーンカップ(JpnIII)
2009年:愛知杯(GIII)
概要
父アグネスタキオン、母リトルハーモニー、母父*コマンダーインチーフという血統。
父は4戦4勝で皐月賞を制し、そのまま屈腱炎で引退して伝説になった〝超光速の粒子〟。種牡馬としても超名牝ダイワスカーレットなどを送り出しリーディングサイアーにも輝くなど大活躍したが、そのガラスの脚が仔にも遺伝してしまう傾向があった。
母は6歳まで条件戦を走って37戦3勝。
母父は*ダンシングブレーヴ産駒で、デビューから2ヶ月で1993年のエプソムダービーとアイリッシュダービーを制したイギリスの馬。引退後は日本で種牡馬となり、阪神3歳牝馬S勝ち馬アインブライド、ダートGI3勝のレギュラーメンバー、テイエムオペラオー世代の名脇役ラスカルスズカなどを輩出した。
2005年1月24日、社台コーポレーション白老ファームで誕生。オーナーは一口馬主クラブの社台レースホース。募集価格は40万円×40口(=1600万円)であった。
馬名意味は「小さな+スペイン語で『ひなげしの花』」。母リトルハーモニーから、父アグネスタキオンの冠名「アグネス」の由来である歌手アグネス・チャンの代表曲「ひなげしの花」を連想したものだろうか。なお、社台サラブレッドクラブのページには、馬名の由来として
小さなアマポーラ(スペイン語でひなげしの花)。可憐なひなげしのような少女に出合ったら。その瞬間から心は彼女のことばかりを考え、愛しさにラプソディを奏でるだろう。彼女に愛されることが私のたったひとつの望みになる。母の名前の一部をとって命名。
としたためられている。ちなみに馬体重は470kg前後で、別に小柄な馬ではなかった。
愛のおもいは胸にあふれて
デビュー~2008年秋華賞まで
父タキオンも所属した栗東の長浜博之厩舎に入厩。2007年12月8日、阪神・芝1600m・牝馬限定の新馬戦でデビュー。ミルコ・デムーロが騎乗したここを先行策で逃げ粘る馬を差し切りデビュー勝ちすると、中1週で向かった同条件の500万下も、9番人気の低評価ながら大外から末脚一気で牡馬を蹴散らし2馬身差で快勝。この2戦目から鞍上は武幸四郎となる。
明けて3歳初戦は輸送経験を積ませることと距離適性の確認を兼ねて、牡馬に混じって京成杯(JpnIII)に参戦。2番人気に支持されたが直線で前を捕らえきれず僅差の4着。
続いて2月のクイーンカップ(JpnIII)へ。ここは馬体重-12kgながら1番人気に支持されると、中団後方に構え、直線で大外から上がり最速で一気に差し切って快勝。重賞初制覇を飾る。
4戦3勝の好成績で、有力馬の一角として牝馬クラシック戦線に臨むことになったリトルアマポーラ。桜花賞(JpnI)では同枠の2歳女王トールポピーと人気を分け合い、3.8倍の同オッズで2番人気に支持される。しかしスタートで出負けして最後方からになり、直線で大外を上がり最速で追い込んだものの届かず5着。12番人気レジネッタが勝ち、2着は15番人気エフティマイアで3連単700万馬券という大荒れとなった。
敗れたとはいえ桜花賞も上がり最速の好内容、京成杯で2000mでも牡馬相手に健闘したということもあり、続く優駿牝馬(JpnI)では3.9倍ながら1番人気に支持される。大外枠から中団で桜花賞馬レジネッタと並ぶような位置でレースを進め、直線では大外を追い込むが、似たような位置で進めた他の馬がみんな同じような脚色ではそこから上がっていけず8着。2歳女王トールポピーが勝ったにもかかわらず3連単44万馬券とこちらもそこそこ波乱の結果に。
秋は秋華賞(JpnI)に直行。13.9倍の6番人気まで評価を落とし、最後方から上がり最速で大外を追い込んだものの6着まで。16番人気プロヴィナージュが逃げて3着に激走し、その同厩の11番人気ブラックエンブレムが勝って3連単1000万馬券という超大波乱とは無関係に、牝馬三冠ともリトルアマポーラは末脚を見せるものの結果を出せないまま終わる。
2008年エリザベス女王杯・本当の勝者は?
そんなこんなで迎えたエリザベス女王杯(GI)。圧倒的な1番人気は2年前の降着事件の無念を晴らしに来たカワカミプリンセス(1.8倍)、2番人気は前年のオークス2着馬ベッラレイア(7.2倍)、そして3番人気には秋華賞を賞金不足で除外になった期待の良血馬ポルトフィーノ(7.9倍)。リトルアマポーラは13.2倍の4番人気。鞍上は武幸四郎がレインダンスに回ったため、当時はまだ短期免許で来日していたクリストフ・ルメールがテン乗りとなった。
レースが始まる。スタート直後の悲鳴とどよめきの中、これまでの後方待機でなく5番手あたりでの好位先行策を選択するリトルアマポーラとクリストフ・ルメール。ポルトフィーノが大逃げを仕掛ける中、徐々に押し上げていき、4コーナーで大きく膨れたポルトフィーノを視界の外に、直線入口で抜け出しを図る。
コスモプラチナをかわして先頭に躍り出て、そのまま押し切りを図るリトルアマポーラ。だがそこに、大外からポルトフィーノが襲いかかった!
馬体を併せにくるポルトフィーノとの追い比べとなるが、圧倒的な斤量差を武器に突き放しにかかるポルトフィーノにはそれ以上食い下がることはできず。それでも後ろから猛然と追ってくるカワカミプリンセスやベッラレイアは寄せ付けず、先頭でゴールを駆け抜けるポルトフィーノを見ながらゴール板に飛び込んだ。
……念の為ちゃんと書いておくが、勝ったのはリトルアマポーラである。ポルトフィーノはスタート直後に躓いて武豊が落馬しており、カラ馬となった時点で競走中止扱い。リトルアマポーラは先行策から早め先頭で上がり2位の脚を繰り出し、カワカミプリンセスの猛追を寄せ付けない1馬身半差の快勝だった。
そう、リトルアマポーラにとっては本記事冒頭にも引用した名馬の肖像にあるように、牝馬三冠の悔しさを晴らす快勝だったのだが……。3番人気を背負ってスタート直後に武豊を落とし、そのままカラ馬となって先頭を突っ走り、4コーナーで逸走したかと思いきや大外からカメラに現れて先頭でゴールするポルトフィーノのインパクトはあまりにも強すぎた。結果、2008年エリザベス女王杯は「リトルアマポーラが勝ったレース」ではなく「ポルトフィーノが武豊を落としてカラ馬1位入線したレース」として語り継がれることになってしまったのであった……。
なお、JRA賞では古馬相手に勝利したことを評価され、牝馬三冠を分け合った3頭を押しのけてこの年の最優秀3歳牝馬を受賞した。
4歳
明けて4歳は福永祐一を新パートナーに迎え、4月のマイラーズカップ(GII)から始動。しかしここから、彼女はいまひとつ冴えない走りが続く。
マイラーズCは好位先行も直線伸びず10頭立ての7着。ヴィクトリアマイル(GI)では7.5倍の3番人気に支持され、圧倒的1番人気のウオッカをマークするが、馬なりで抜け出すウオッカに全くついていけず、7馬身差圧勝の後ろで6着。6月のマーメイドステークス(GIII)は中団後方から直線で大外を追い込むが、逃げ切ったコスモプラチナには届かず3着。
秋は内田博幸を鞍上に府中牝馬ステークス(GIII)から始動。ここは先行したがやはり直線伸びず5着。
2009年エリザベス女王杯・動かざることスミヨンの如し
そして迎えた2度目のエリザベス女王杯。この年の圧倒的1番人気は牝馬三冠を逃した雪辱に燃えるブエナビスタ(1.6倍)。2番人気は秋華賞でそのブエナの降着で2着に繰り上がったブロードストリート(7.7倍)。3番人気はアイルランドから来たG1馬シャラナヤ(10.3倍)。連覇がかかるリトルアマポーラは12.4倍の4番人気。鞍上には6年ぶりに短期免許で日本に来ていたクリストフ・スミヨンを迎えた。
さてこのレース、2頭の人気薄の逃げ馬が出走してきていた。11番人気の重賞未勝利馬クィーンスプマンテと、かつての2歳女王ながら3歳以降は基本的に低迷している12番人気のテイエムプリキュアである。この2頭が逃げるであろうことは戦前から多くのファンが予想していた。そしてそれが大きく勝敗を左右するものにはならないであろうということも。
だが、期せずして1頭の馬が、というかその鞍上の判断が――すなわちリトルアマポーラとクリストフ・スミヨンが、このレースをある意味で競馬史に残るレースに変えてしまう。
レースが始まる。クィーンスプマンテがごく普通にハナを切り、テイエムプリキュアがそれを追っていく。ブエナビスタは後方待機。ここまでは誰もが予想した展開である。そして、リトルアマポーラとスミヨンは逃げる2頭を好きに行かせて3番手に――つまり逃げ馬2頭を除いた集団の先頭につけた。
2コーナーを過ぎて向こう正面に入る頃には、クィーンスプマンテとテイエムプリキュアは後続を大きく突き放して逃げていく。しかし3番手のリトルアマポーラとスミヨンは動かない。
そのまま1000mを通過する。1:00.5。思いっきり平均ペースなのに2番手のテイエムプリキュアと、3番手のリトルアマポーラとの間はもう10馬身以上離されている。だが、スミヨンは動かない。
3コーナーにさしかかり、ブエナビスタら後方勢が遅すぎるペースに気付いて上がり始める。この後に及んでもまだ差は開き続けていて、4コーナーへ差し掛かる頃には20馬身以上にも達しようとしていた。それでもスミヨンは動かない。
4コーナーでブエナビスタが外から捲ってきて、直線入口でリトルアマポーラを捕らえた。その瞬間の衝撃的な光景は、百万言を費やすより実際の映像を見ていただくにしくはない。
……そう、これが伝説の大波乱とも歴史的迷レースとも「ひとりはプリキュアふたりでターボ」とも呼ばれた、2009年エリザベス女王杯である。このレース展開を生んだのは間違いなく、3番手につけながら逃げ馬2頭を全く追わず、大差で行かせてしまったリトルアマポーラとスミヨンのコンビであった。後方にいたブエナビスタの安藤勝己は「2コーナーでは前の2頭が見えなかった。4コーナーでは無理だと思った」と語っており、まさかこれほど離されているとは思わなかったのであろう。
ちなみにスミヨンは「ちょっと前2頭とは距離があったけど、この馬にとっては道中いいペースだと思った。自分のリズムを崩したくなかったので、あまり早く動かなかったんだけど…」とのコメント。ちょっとどころではないだろ。
ちなみにこのレース、リトルアマポーラは7着であった。
その後
リトルアマポーラはその後、12月の愛知杯(GIII)に参戦。鞍上には中舘英二を迎え、逃げるブラボーデイジーを2番手で追走。直線でブラボーデイジーとの追い比べを制し、後ろから追ってきたメイショウベルーガやヒカルアマランサスを退け、1年ぶりの勝利を挙げた。
5歳となった2010年も現役を続行し8戦したが、はっきり言って書くことはほとんどない。惨敗が続く中、3度目のエリザベス女王杯でこの年の三冠牝馬アパパネとハナ差の4着に健闘。12月の鳴尾記念をブービー11着に敗れて現役を引退した。
通算22戦5勝。タキオン産駒としては珍しく丈夫で、競走生活を通して大きな故障はなかった。
引退後は故郷の社台コーポレーション白老ファームで繁殖入り。しかしこれといった産駒は送り出せず、2020年にイスラボニータの仔を受胎した状態で繁殖セールに出され、ビッグアーサーの中辻明オーナーに落札され小泉牧場に移動。2021年はビッグアーサーを種付けされ、2022年3月に第11仔となるその仔を産んだが、その後同年6月に死亡した。17歳没。現在は優駿メモリアルパークにお墓がある。
2番仔クィーンアマポーラ(父キングカメハメハ)が繁殖入り、現役で走っている産駒にも何頭かの牝馬がいるので、牝系の血は繋がっていくだろう。
血統表
アグネスタキオン 1998 栗毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
アグネスフローラ 1987 鹿毛 |
*ロイヤルスキー | Raja Baba | |
Coz o' Nijinsky | |||
アグネスレディー | *リマンド | ||
イコマエイカン | |||
リトルハーモニー 1995 鹿毛 FNo.9-e |
*コマンダーインチーフ 1990 鹿毛 |
*ダンシングブレーヴ | Lyphard |
Navajo Princess | |||
Slightly Dangerous | Roberto | ||
Where You Lead | |||
ルイジアナピット 1985 鹿毛 |
*ヴァリィフォージュ | Petingo | |
Border Bounty | |||
ミユキカマダ | *ダイアトム | ||
ヤヨイカマダ |
クロス:Hail to Reason 4×5(9.38%)
関連動画
なぜかニコニコには新馬戦から彼女の勝ったレースの動画が全て存在する。
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関連項目
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