学校では教えてくれない○○とは、学校教育の欠陥定型句の一つである。
概要
私達は日本国内に住んでいれば、6歳から15歳にかけて9年間の義務教育を受けることになる。
そこで読み書きそろばんなどと昔は呼ばれた基礎的な教養や常識を身に着けていくわけだが、限られた時間(指導要領から計算すると小学校で5785時間、中学校で2538時間なので、8323時間≒346.7日となる)の中で教えていかなければならないので、どうやっても教えられることと教えられないことがでてきてしまう。
それだけでなく、子どもには発達段階というものがあるので、それも考慮しながら順をおって教育していく必要がある。例えば小学校で算数、中学校で数学と分けているのは、数学で扱うような抽象的な代数などの概念を一通り理解できるようになるのは小学校高学年(11・12歳)あたりからという教育心理学・教育発達科学上のコンセンサスが存在したからである(近年では小学校6年で代数学の初歩をやるが、社会の要請から算数と数学を隔絶するのではなく、連続したものとして指導するように変化した経緯がある。しかし、その影響で教員の指導が追いつかずに進度に影響が出るなどの問題が発生している)。
そのため、学校教育を管轄する文部科学省は学習指導要領というものを作り、その指針にもとづいて各小学校・中学校は児童・生徒に授業をしていくわけだが、どうしてもそこから零れ落ちてしまう知識や教養などがある。それが欠落していた為に、社会に出てから恥をかいたり、損をするというのはまま聞く話だ。
そこで、出てくるのが、この学校で教えてくれない○○という概念である。学校教育から溢れながらも、人生を生きていく上で大切な知識や教養・技術などを、知識人や技術者などが教えていこう(あわよくば一儲けしてやろうと)とするわけである。
パターンとしては色々なものがあり、まず学校で全く教えていないものを教える一から教育型、学校で教えてはいるが学校教育では時間の都合上省かれてたり、端折られたりしたものを補う教育補完型、学校で教えると都合が悪い(とされる)ものを、新説などを用いて教える再教育(洗脳)型の三パータンに大きく分けられる。(一応再教育といっても、古い教科書の記述をブラッシュアップして、今の教科書に書かれている内容を解説するものもあるので、そちらとは混同しないように)
一概に、学校で教えてくれない〇〇が悪いものとは言い切れず、むしろ生きていく上で役に立ったり、知見を広めたりする内容も多くある。しかし、特に3つ目の再教育型については巷間で陰謀論だとか眉唾ものなどと呼ばれるものをまことしやかに教える(学校で教えてくれない文脈だと歴史・政治関連に多い)ものが多数存在するので注意が必要である。
また、再教育型でなくとも、最初はホームページやセミナーなどで無料と謳っていたのに、教材購入や追加の講義を聴かせる為に高額な料金を請求しようとする(セミナー詐欺や教材詐欺とも呼ばれる)パターンもあるので、話を鵜呑みにせずよくよく検討する事が肝要だろう。このあたりは詐欺や犯罪、闇バイトあたりの記事が詳しいのでそちらを参照することを勧める。
また、性的な意味として使われることもあり、エロゲ・エロ漫画などでの性教育的シチュの一つでもある。
具体例
念のため断っておくが、この型の名前は初版作成者が独自に考えたものなので、便宜上にすぎない。もし、良い案があればどんどん提案したり、編集してください。
一から教育型
- 友人や教師などとの人間関係の上手な付き合い方を教えるなど、人間としてのコミュニケーションを教育する(教師が教えている場合もあるが、質によってバラバラなので一から教育に分類した)
- 法学や金融、ITなど(近年では教えているものもあるが)、教科選択によっては全く学んでいなかったり、選択していても、教師や学校カリキュラムの都合で教えられずに卒業してしまった人に教育する(教育補完とも被るが、世代によっては要領外なこともあるのでこちらに)
教育補完型
- 社会科、特に歴史で見られる教科としてのパッケージに入っているが、ほとんど飛ばしていたり、最悪の場合は「後は読んどいてねー」で済ませられてしまいがちな部分を教育する。
- きちんと教師が教えては居るものの、テストの時は捨てていたり、またテストのときは覚えていても、それっきり使わないので忘れてしまったものを再教育する(これはリカレント教育や生涯学習にも重なる部分がある)
再教育型
- 古い教育指導要領にかかれていた内容のものを、最新の指導要領に基づいた形にブラッシュアップして教育する。(優性・劣性→顕性・潜性への表記変更、鎌倉幕府の成立年など)これは学校では教えてくれない○○という触れ込みではなく、学び直しなど別の表現で行われる事が多い。
- 「孝明天皇は薩長によって暗殺された!!」「日本国憲法は押し付けられた!!」など、教科書には採用されていない言説を、真実であるかのように飾りつけて再教育するとか、真実を教えますなどと触れ込んで教育する。内実については陰謀論などの記事が詳しいのでそちらを
題材にあげられやすい学問・概念など
- 確定申告・年末調整、扶養控除の計算など、税実務上の処理→税そのものは社会科の公民分野で扱うが、税務上の処理などはまずやることはない為、会社員やアルバイトでそれらに直面して学校で教えてほしかったと嘆く人が多い。もはや筆頭候補ですらある。
- 冠婚葬祭や社会生活上のマナー→宗教の概要などは社会科の歴史や公民、地理で軽く触れるが、冠婚葬祭で具体的にどうするのかはまず触れない。一応学校によっては家庭科で少し触れることもなくはないが、副教科という立場上存在感は薄いと言わざるをえない。一般的なビジネスマナーなども(多くは進学するため)高校までの段階ではやらない事が多く、社会からの要求が大きい。
- 法学→憲法や私法(民法など)の仕組み、大枠については高校の政治経済や公共で触れることにはなるが、必修とはいえ時間の都合上で省かれたり、理系に進んだ場合はそれ以上深掘りしなかったりで忘れてしまうことが多いため、これもあげられることが多い。需要としては消費者契約法や労働法などが人気。
- 投資・保険など資金運用や管理に関すること→これも法学と同じく高校の公民分野で少しだけ触れるが、実用とするには不十分であるため、これもよく学校では教えてくれないものとして教材が出ることが多い。お金に繋がる可能性が高いからか、需要も供給共にかなり高い。近年の学習指導要領ではITと共に取り入れられつつあるが、はてさてどうなるか。
- 簿記など会計学関連→商業科など一部の専門学科を除き、小中学校及び普通科高校で簿記は一切やらない。しかし、社会人になる上でトップクラスの人気資格にあがるだけあって、そのあたりの会計知識を早い段階で子どもたちに教育して欲しいという要望が多くある。
- 統計学→旧課程でも数学でやらないわけではなかったが、数学教師の裁量に任されていたので全く触れずに卒業する人も多かったと思われる。社会に出てから統計資料の読み方に苦労する人も多く、そのための需要が大きかった。なお、学習指導要領の改訂により、2022年度までに小中高校全てにおいて必須事項として履修されるようになった。
ここまであげてきたことはいわゆる実学と呼ばれる領域である。しかし、基礎的な教養を身につける事が主眼となっている普通教育において、これらのことをどこまでやるべきかというのは難しい問題である。
また、実学以外でもエロ漫画やエロアニメ的な意味合いではなく、性教育をしっかりやってほしかった(避妊具の付け方・服用法や、安全なセックスのやり方など)という声もある。
表記
記事タイトルでは学校では教えてくれない○○としているが、同様の概念を扱った表記は無数にあり、「教科書には書いてない○○」「教科書には載ってない○○」「学校では教えない○○」「学校で教えてはくれない○○」など多数の表記ゆれが確認される。
各表記がどの程度浸透しているのか詳細に調べるのは、この記事の主題ではないし、また非常に煩雑要はめんどくせえなので、Googleの検索結果件数に準拠して記事タイトルを決定している(現在表記変更議論中)。
発祥や変遷について
学校で教えてくれない○○というような、学校で教えてくれなかったなどと嘆く史料はそれこそ明治に学制がはじまった当初からあったものと考えられる為、最初に誰が言ったかということを特定するのは困難である。
一応、書籍で『学校で教えてくれないこと』というそのものズバリの書籍が、1978年に発刊されており、テレビ番組では『学校で教えてくれないこと!!』という番組がフジテレビにおいて1994年に放送されているため、最低でもその頃からは共通認識としてあったのではないかと推測することはできる。
日本出版インフラセンターの出版書籍データベースをみると2000年前後からぼちぼちと発刊する数が増えるようになり、2015年から2023年現在までで学校では教えてくれないと題名をつけた。もしくはそれをあらすじや煽り文句に使っている書籍が、300冊を超える数が発刊されており(全体は447冊)、キャッチコピーとして特に頻繁に用いられるようになったのはここ10年ほどの事と言える。
議論・まとめ
学校で教えてくれない○○というテーマについては様々な意見がある。
肯定的意見としては「これこそ学校で教えるべきだ」「役に立つ知識を教えてくれる」「子どもの頃からこういうことは教えておくべきだ」などの意見が見られるが、一方で否定・懐疑的なものも多く「本当に学校で教えるべきなのか?」「本当は教えていることも多く、称賛している人はただ学校の授業を真面目にうけていないのでは」「そもそも(受け手側が)学校教育の目的を履き違えている」などの厳しい声も聞かれる。
どう捉えるべきか、というのは個々人に委ねられるべきだが、教育基本法第4条では「国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う」とされており、普通教育の定義として、文科省においては「全国民に共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育
」としている。
学校では教えてくれない とはいうが、学校教育においては特に人格形成の基礎的な素養・教養を育んでいく事こそが最重要なのだということを、今一度念頭におくべきではないだろうか。しかし一方では、社会や価値観の変化により、その基礎的な教養というものが変化しているのも事実であり、常に詳細かつ慎重な議論・検討が常に必要な課題であることは間違いない。
また、陰謀論や、まるっきり嘘や都市伝説レベルのものを学校では教えてくれないなどといって吹き込むケースもあって胡散臭いと思う人もいるかもしれないが、それとは別に、昔勉强していたことを学び直したり、新しい知識を取り入れていくことは人生において重要なことである。もし、何らかの理由で勉强し直したい! と思ったならば、内容は吟味しつつ、そのような書籍や動画、セミナーなどに参加してみてもいいかもしれない。
関連項目
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