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麻原 彰晃(あさはら しょうこう、1955年3月2日 - 2018年7月6日)とは、オウム真理教の教祖である。本名は松本智津夫(まつもと ちづお)。
概要
少年期
1955年の熊本県で畳職人の家庭に生まれる。先天性の視覚障害があった。しかし完全に目が見えないことはなく普通に小学校に通うが家が貧しく、小学1年の途中で11歳年上の兄が通う支援の厚い熊本市内の盲学校に編入となった。本人としては親に捨てられたとショックだったもよう。
兄は体が大きく体力もあった。周囲からはボスと呼ばれていたほど。そんな兄の背中をみて育った。小学5年、児童会役員に立候補するが落選。他の児童からお菓子を奪って配り投票よろしくと挨拶していたという。
小・中・高と盲学校で学び鍼灸師の資格を取得した。高校卒業時の1973年と専攻科卒業時の1975年、医師を目指して熊本大学医学部を受験しようとした。当時は視覚障害者が医師免許を取得することが許されていなかった。
熊本時代
熊本市内に開業した兄の鍼灸院の手伝いをした。繁盛していたが、薬と称して単なるみかんの皮を地元富裕層に1回2万円で売る...(朝日新聞記事より)
零細事業者時代
1977年に大学受験で熊本県から東京都に移住し、1978年に予備校で出会った女性との結婚により千葉県船橋市に居住し同市に「松本鍼灸院」を開院するが9月に閉院、同市の別の場所に診療室兼漢方薬局の「亜細亜堂」を開院する。しかし1980年7月保険診療費の不正請求(約600万円)を起こし閉院。8月に仏教系新興宗教「阿含宗(あごんしゅう)」に入信する。当時患者の治療に成功しても治療を終えると再発してしまう、自分は無駄なことをやっているのではないかと思っていたようだ。
1981年同市にて健康薬品販売店「BMA薬局」を開店するが、1982年みかんの皮などを煎じただけのものを万能薬と偽り高額販売、健康被害が出る。結局薬事法違反で逮捕され罰金刑に処される。
オウム真理教時代
1983年には東京都渋谷区桜丘に学習塾「鳳凰慶林館」を開設する。以後「オウムの会」、「オウム神仙の会」と二度改称し1987年には「オウム真理教」と改称する。1988年にはダライ・ラマと接見する。
1990年には衆議院選挙に真理党の所属で東京都第4区から出馬、5位まで当選する選挙区で17人中13番目の結果となり落選する。1990年の衆議院選挙での落選が武力を用いる動機になったとされている。
1994年に松本サリン事件、1995年に地下鉄サリン事件が発生し、その首謀者として1995年5月16日に山梨県西八代郡上九一色村(当時)で逮捕される。
2006年9月15日に最高裁判所において控訴審の特別抗告の棄却が決定し、死刑確定。2013年までに2度の再審請求を行っているが、いずれも再審は認められておらず、2018年7月6日朝に処刑された。
自らの書籍の出版もしており、ベストセラーの書籍も出しているほか、テレビ番組への出演やアニメの声優をした事もある。
愛人が100人以上にも上るとされ、本妻知子との6人以外にも確認されているだけでさらに6人の子供がいるとされているが、正確な人数は不明(合計で12名説、15名説などがある)。
彼の創立したオウム真理教は日本支配、国家転覆を謀った国家的な大犯罪組織である。
詳細はオウム真理教の記事にてご確認されたい。
日本史上において道鏡や将門など悪人は結構いるが、たいていは悲劇的なキャラクターにされるか逆に英雄視される。あらゆる方面から嫌われているのは麻原くらいのものである。
参考
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関連項目
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