Panasonic TOYOTA Racing(以下トヨタ、トヨタF1)は2002年から2009年までF1に参戦していたコンストラクターでである。
概要
その名のとおり、トヨタ自動車のワークスチーム。オペレーションは1975年に発足した、ラリーコンストラクター「トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)」が改称したTMGが担当。エンジン開発はヤマハ発動機も協力した。
初参戦は2002年。WRCで輝かしい成績を残したチームの参戦とあって、期待されていたが残念ながら思ったような活躍をすることはできず、ミナルディと同ポイントに沈む。2003年はフェラーリのF2001のコピーであるTF103でグランプリに挑むが、フェラーリはブリヂストン、トヨタはミシュランとタイヤが違うため成績は昨年よりはマシという程度であった。パドックからは「ブリヂストンタイヤの車がなぜかミシュランタイヤを履いている」と揶揄された。フェラーリから告訴され、スパイ疑惑の元従業員に一審で有罪判決が下っている。しかしこれに関してFIAから具体的な処分は下されなかった。そしてその後も2005年こそコンストラクターズランキング4位となったが、他の年はイマイチパッとしない成績が続いた。いちおう2007年、2008年とホンダの成績を上回ったのがせめてもの救いである。
ホンダ、スーパーアグリの撤退により、2009年当時日本のコンストラクターはトヨタのみとなっていたが、世界的不況の影響と拡大路線の失敗から2009年11月4日、豊田章男社長、山科忠チーム代表が記者会見を開き、F1から正式に撤退することを発表した。
2009年は終盤シンガポール・鈴鹿と立て続けに2位表彰台に上がったり、最終戦アブダビGPにて日本人の小林可夢偉が6位に入賞するなどの盛り上がりを見せており、なおかつ2010年シーズンに向けて「TF110」の開発が進んでいただけに、撤退は急遽決められたことだったと思われる。これでF1に参戦していた日本のコンストラクター、エンジンサプライヤーは全て撤退した。
ちなみに、トヨタは2012年までのコンコルド協定に署名しており、トヨタの撤退により参戦枠に空きができることになったが、ここには、2009年までの参戦権しかなかった旧BMWザウバーを受け継いだザウバーが入ることとなった(ザウバーはBMWによって2005年に買収されたが、BMWが2009年にF1から撤退することとなったため、ザウバーの創業者であるペーター・ザウバーがチームを買い戻し、単独で参戦することを決定したためこのような事態になった)。ちなみに最後のトヨタF1マシンのTF109は、2011年度から今までのブリヂストンに変わってタイヤを独占供給することになったピレリのタイヤテストに使用された。
資金力はF1でもトップクラスだったが、結局未勝利のまま撤退することとなった。これは、現代のF1においてどれだけ資金と市販車の技術力を持っていたとしても、F1特有のノウハウを持たない新規チームが勝利することは難しいということを如実に表していると言えるだろう。ちなみに蛇足だが、トヨタのF1活動における年間投資額は実はホンダより少なかったとされ、2007年度のデータではトヨタが約250億円を投資したのに対して、ホンダは300億円を投資している。だがF1にかけるお金というのは非常に計算が難しく、特に本社研究所とのコラボレーションを目指していたホンダと単純に比較することは難しい。
トヨタのF1活動はムダだったのかと言うとそうでは無く、F1時代に作られたTMGの設備やノウハウはWEC・WRC活動に大いに役に立っている。またドライバー面でも、中嶋一貴や小林可夢偉はWECトヨタで主力として活躍していたり、育成だった平手晃平がスーパーGTで二度タイトルを獲得していたりなど華々しい戦果を挙げている。。
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関連項目
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