宇津木六之丞とは幕末の武士であり、井伊直弼の腹心の一人である。諱は景福(かげよし)。
概要
文化6年(1809年)、彦根藩士・彦根藩士古沢六右衛門の四男に生まれる。文政4年(1821年)、宇津木三右衛門家の養子となり家督を相続する。文政11年(1828年)、彦根藩主・井伊直亮の供侍として江戸詰を命じられ、以後、弓足軽物頭、取次支配番、表用人役などを歴任する。
嘉永3年(1850年)、直亮が死去すると、直亮に近かった宇津木は次期藩主の井伊直弼から疎まれ、更迭されて江戸から遠ざけられるが、相州警備や黒船来航時の対応の迅速さを評価されて江戸に戻る。以後井伊の側役として活動を始める。
安政に入り、長野主膳が京都で朝廷工作を始めると井伊と長野の橋渡し的な役目を負う。宇津木は井伊の近侍として、長野は京都で、それぞれ役割を分担して井伊の手足となって活動した。
桜田門外の変後、長野とともに引き続き幕府の公武合体政策に関わり続けたが、文久2年(1862年)、長野が彦根藩に捕縛されると宇津木も江戸で捕縛され、彦根に護送される。その後「長野主膳と同腹致し、御国害を醸し候始末、言語道断・不届至極」と罪状を言い渡され斬首。享年54歳。(推定)
この度我等如何様のお仕置仰せ付け候とも、君命是非に及ばず候。(中略)
我等の悪名をすすぎ候様、御教導頼み入り候、いつぞは悪党共御退治遊ばるべく、其節忠勤を尽くし申すべき心得にて恥を忍び今日迄存命致し、恥に恥を重ねさてさて残念御さっし給うべく
(娘宛 宇津木六之丞遺言)
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