我らの道(われらのみち。This is the way)とは、「スター・ウォーズ」サーガのドラマシリーズ『マンダロリアン』に登場した、だいたいありとあらゆる場面で使える感じのフレーズである。
チャプター1: 概要
ニコニコ大百科で、マンダロリアンが使う言葉「我らの道」について解説する。
惑星マンダロアに文化的ルーツを持つ民、すなわちマンダロリアンの中でも、とある部族に属する人々は彼らの伝統的な教義を忠実に守っていた。その教義を象徴するフレーズが「我らの道」である。教義の再確認や、その忠実な履行を示す宣誓の類として用いられているようで、特に儀礼的には誰かが「我らの道」と唱え、他の者が同様に「我らの道」と唱和することが多い。
そして彼らはこれをさまざまなときに使う。それは覚悟を決めたときであったり、敬意を示すものであったりもする。だがそれだけでなく、「我らの道」をきわめた者ともなれば、会話の一方がもう一方の返答に納得しない時、なおも言い募ってくる時などに、「我らの道」とチャントすることで強引に話を打ち切ってしまう効果すら生み出すことができるのである。要するにごまかしてるだけなんだが。
そういうわけなので、「我らの道」は宣誓や儀礼のみならず相槌、激励、敬意、鼓舞、賛同、そして会話のキャンセルまで、様々な場面に対応できる無限のパワーを秘めた言葉なのである。
チャプター2: 用例
マンダロリアンが使う「我らの道」は、多面的な働きをすることもある。
儀礼
アーマラー「ヘルメットを脱いだことは?」
ジャリン 「ない」
アーマラー「誰かに脱がされたことは?」
ジャリン 「一度も」
アーマラー「我らの道」
周囲 「我らの道」
ヴィズラ 「我らの道」- チャプター3: 罪
いわば基本形。人前ではけしてヘルメットを脱がない、という重要な教義に忠実に従ったかどうか、部族の指導者格のアーマラーから問いただされた際の会話。問われている賞金稼ぎディン・ジャリンはこの時、仇敵である旧銀河帝国から仕事を受け報酬を貰ったことで同胞パズ・ヴィズラと揉めており、この対話はジャリンの教義への忠誠を再確認する儀礼としての用例といえるだろう。
激励
ヴィズラ「早く逃げろ!こいつらは抑えとく」
ジャリン「お前たち、アジトの場所を変えないと」
ヴィズラ「我らの道」
ジャリン「我らの道」- チャプター3: 罪
部族が拠点をおく惑星ネヴァロを色々あって逃げ出すジャリンと、それを援護するヴィズラほか部族の面々の会話。部族の今後についてのジャリンの心配をぶった切るヴィズラの我らの道宣言には、部族の仲間としてジャリンの脱出を助けるという教義の履行の宣言にとどまらない、どこか激励の印象がある。
覚悟
ジャリン「俺が奴らを食い止めるから逃げろ。戦士として死なせてくれ」
デューン「あんたを置いてはいかない」
ジャリン「我らの道」- チャプター8: 贖罪
敵に追い詰められ、重傷を負ったジャリン。ここを死に場所と定めた彼は、仲間の元反乱軍兵士キャラ・デューンに後事を託し、デューンの未練を「我らの道」と断ち切ろうとする。「ここで戦って死ぬのが俺の道だ」というマンダロリアン戦士の覚悟が見て取れる一場面。なお、直後に敵兵士が汚物を消毒しつつ乱入してきたのでそれどころではなくなったのであった。
友情
ボ=カターン「ありがとう。あなたの勇気は忘れない。我らの道」
ジャリン 「我らの道」- チャプター11: 後継者
女戦士ボ=カターン・クライズの作戦に協力した代わりに必要としていた情報を得て、彼女に別れを告げるジャリン。ボ=カターンは同じマンダロリアンでもジャリンの部族とことなる民の出であり、ジャリンと同じ教義に仕えてもいないが、それでも「我らの道」のやり取りで別れを惜しむ友情を示している。
意思統一
速やかな意思統一もまた、「我らの道」の用法である。集まった部族の面々に、ヴィズラはジャリンとボ=カターンの計画の支持を表明し、マンダロリアンの未来のための戦いを呼びかける。支持演説の締めに強い語気で発せられた「我らの道」の言葉に、ざわついていた周囲も瞬時に静まり返って異口同音に「我らの道」と唱和し、皆で戦いに馳せ参ずることで合意したのだった。
敬意
ボ=カターン「父に恥はかかせなかった」
ジャリン 「どんな人だったのか興味がある。できれば会ってみたかった」
ボ=カターン「偉大な人物だったわ。マンダロアを守って死んだ」
ジャリン 「……我らの道」
ボ=カターンの父について問い、すでにマンダロアを守って亡くなっていることを知らされたジャリンの返答としての使用。少し頭を下げながら、故人への敬意、そして意図せず不躾な問いかけをしてしまったことへの謝罪の意が感じられる。
強制
アーマラー「あなたが守るしかない。仲間のもとへ送り届けないと」
ジャリン 「どこにいるんだ」
アーマラー「それもあなたが突き止めること」
ジャリン 「こいつの故郷を銀河じゅう探し回って、敵の一団のもとへ戻せっていうのか」
アーマラー「我らの道」- チャプター8: 贖罪
色々あってジャリンが保護している孤児をどうすべきか、その仲間のもとへ送り届けるのが教義に従った役目だというアーマラー(「敵の一団」という語は、孤児の出所がマンダロリアンの旧敵だったことによる)。この場合の「我らの道」は、たぶん「いいからやれ」くらいの文脈である。さすがに唖然としたのか、ジャリンも押し黙って唱和しなかった。
アーマラー「教義によって、あの子が仲間たちのもとへ戻るまでは、あなたが父親代わりよ」
ジャリン 「……」
アーマラー「我らの道」- チャプター8: 贖罪
上の例の少し後。これもだいぶ「いいからやれ」感がある。
打切
ボ=カターン「私が……見たと言ったらどう思う?」
アーマラー 「何を見た?」
ボ=カターン「ミソソー」
アーマラー 「それはとても運がいい。高貴な幻だ」
ボ=カターン「いいえ、私は本物を見たの」
アーマラー 「マンダロアの道を歩むと決めたからには、さまざまなものを見るだろう」
ボ=カターン「でもあれは本物だった」
アーマラー 「我らの道」- チャプター20: 孤児
たぶんこれが一番の問題例。「呪われてなかった魔境マンダロアの泉の奥底に伝説の巨獣ミソソーを見た!」いや幻ではなく本当のことだ、と言いつのるボ=カターン(実際に見た)との会話を一鎚のもとに打ち切るアーマラーの見事な「我らの道」である。なんならこの回、この台詞が最後の台詞であった。
アーマラー 「道を外れてしまった仲間もいるが、数が少なくなっては意味がない」
アーマラー 「全員が共に歩まねば」
ボ=カターン「我らの道」
アーマラー 「我らの道を共に歩むのだ。すべてのマンダロリアンが」- チャプター21: 海賊
そしてこちらは(たぶん)失敗例。アーマラーが不穏なことを言い出すので「我らの道」と返してみるボ=カターンだったが、「道(the way)」をうまく引き取られ結局話を続けられてしまう。やはり「我らの道」遣いにかけては、その教義で育っていないボ=カターンよりもアーマラーのほうがずっと上手なのであった。というかもうアーマラーが「我らの道」を便利遣いしているだけのような気もしてくるが……。
チャプター3: 銀河の人々と「我らの道」
マンダロリアンと出会った人々が口にする「我らの道」について知ることになる。
メイフェルド「ヘルメットは脱がないのか?」
シアン 「フフッ、ウフッ……“我らの道”。フフッ」- チャプター6: 囚人
銀河には、マンダロリアンではなくとも彼ら部族の教義を多少なり知る者はいて、そういう者の中では厳粛な「我らの道」といえど教義への揶揄に使われることがある。
ジャリンがチームの一員として参加した共同作戦中、ヘルメットを脱がないことを疑問視する傭兵ミグズ・メイフェルドに対し、ジャリンとは旧知でそういう教義なのだと知っているトワイレックの女傭兵シアンが「我らの道( ー`дー´)キリッ ギャハハ」みたいな感じで返したもの。ニュー・ジェダイ・オーダー序盤の新共和国諮問評議会くらいの腹立たしさがある。にしても、早くも第6話にしてマンダロリアンの鉄板ネタみたいな扱いをされている。
チャプター4: 「我らの道」とスター・ウォーズファン
視聴者のSWファンにとっても、「我らの道」は記憶に残るフレーズだとわかる。
ポストを読み込み中です
https://twitter.com/februar_fevrier/status/1638857878131068928
地球でドラマ『マンダロリアン』を視聴しているスター・ウォーズファンも、「我らの道」を使ったりするようだ。しかしやはり、「我らの道」をアーマラーほど使いこなすことは難しいのかもしれない。
チャプター5: 関連商品
市場経済により、視聴者は「我らの道」を物語る物品を購入することもできることを知る。
チャプター6: 関連項目
「我らの道」は『マンダロリアン』の用語であり、スター・ウォーズのフランチャイズに属している。
チャプター7: 関連したりしなかったりする道
すべての道がコルサントに通じているとしても、すべての道とつながりがあるとはいえない。
- 運命の道(うんめいのみち。Destiny's way) - ニュー・ジェダイ・オーダーシリーズ第14作。
- 私道(わたしのみち。This is my way)
- 尾道 (おのみち。This is the ridge way)
- 春日野道駅(かすがのみち。Kasuganomichi)
チャプター8: 結局何が『我らの道』だったの?
ニコニコ大百科だからかろうじて許されると予防線を張るタイプの記事フィナーレ。
「……我らの道」
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