春日信達(かすが・のぶたつ/のぶさと ? ~ 1582)とは、信濃国の戦国武将である。高坂昌信の次男。兄に高坂昌澄、弟に高坂昌定。子に森勝助がいる。別名に高坂昌元などがある。ここでは子・勝助も本稿に記述する。
概要
兄・昌澄が長篠合戦で戦死した為、代わって嫡子となる。1578年に父が病死したため海津城代を継承する。1579年には三枚橋城代(静岡県沼津市)となり対北条の要となる。
武田氏が滅亡する前に信濃に戻ったようで、滅亡後は織田氏に降伏する。北信濃を統治しにきた森長可の傘下に入り、子・勝助を人質に出した。だがこの直後に本能寺の変が発生。長可が本拠地・美濃兼山に帰還しようとするのを見て、信達は他の信濃国人衆と共に織田家に反旗を翻すことを選択、長可の撤退を妨害した。しかしこの策は失敗で、人質であった勝助を殺された上に、長可の本拠地への帰還は許す結果となった。
その後は上杉景勝に仕えるが、真田昌幸の調略を受け北条氏直へと内通。これが露見して景勝に誅殺された。また、1600年には長可の弟・森忠政が川中島に移封されて来たのだが、信達の一族は徹底的に探索されて、見つかり次第一族全員磔の刑に処された。18年前の美濃への撤退妨害が理由であった。
森勝助の生涯
森勝助(もり・しょうすけ ? ~ 1582)とは、信濃国の戦国武将である。春日信達の子。名は庄助とも。
武田氏の滅亡後、北信濃を統治しにきた森長可の人質となる。また、長可が烏帽子親となり、森姓を授けられるなど期待されていたという。
本能寺の変の後、父が長可の撤退を阻止する時、森家臣・大塚次右衛門が父との交渉役であり、当初は勝助は解放されるはずであったが、父が約定を違えたため大塚も人質解放の約定を違えて首を刎ねられてしまった。これを発端として森家の人質となっていた者たち全員が首を斬られてしまった。
創作作品
大河ドラマ「真田丸」
演:前川泰之。真田昌幸被害者の会・第一号。天正壬午の乱の最中、真田家が上杉から北条へと寝返る際に、昌幸は北条への「手土産」として同じく上杉に属する春日信達を調略した、と宣言。こうして北条氏直率いる大軍が北信濃へと向かうのだが、信達は寝返りが露見して死亡しており、磔にされてしまっていた。計画がパーになった氏直は激怒、昌幸も大いに面子を潰される結果となってしまい、北条は信濃ではなく甲斐へと転進する事になる。
…というのが表向きで、実際は(以下ネタバレ反転)昌幸の意向を受けた真田信尹が信達を暗殺している。そして偽装工作を行い「春日信達が寝返って乱心した」事にしてしまった。この結果
「北条は信濃侵攻計画を諦め、手薄そうな徳川の甲斐へ」
「上杉は新発田重家の反乱などに手一杯な事情もあり、北条撤退を受けて引き上げ」
「いきなり北条に攻められて徳川家康は大パニック」
「一方の北信濃は空白地帯に」
…と、春日信達を生贄に捧げる事で、真田昌幸は自身の勢力拡大に向けた時間と場所を手に入れたのである。信達の調略がここまで大きな策謀に繋がっていたと知り、若き真田信繁(と視聴者)は戦慄するのであった。
更にこれだけでは終わらず、徳川が北条の大軍に苦戦している状況で今度は徳川へと寝返って、恩を売って領地安堵の約束を取り付ける所まで持っていってしまった。信達は犠牲になったのだ…真田の犠牲にな…。
関連動画
関連項目
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