景行天皇
(けいこうてんのう 紀元前13年~130年12月24日)とは、第12代天皇である。
概要
紀元前13年に垂仁天皇と二人目の皇后日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の間に第三皇子として生まれる。
垂仁天皇がお隠れになられた後の71年に即位し、播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)を皇后とした。皇后との間には、日本古代史の英雄にして仲哀天皇の父となる日本武尊を設けた。
74年に美濃に行幸した際に、八坂入媛命(やさかいりびめのみこと)を妃として迎え入れ、後に成務天皇となる皇太子稚足彦尊(わかたらしひこのみこと)を設け、播磨稲日大郎姫の薨去後は八坂入媛命を皇后とした。
※古事記では、143歳でお隠れになられるまでに80人の御子がいたと記録されている。
82年に九州の熊襲を征伐するため、景行天皇自ら軍を率いて征西した。遠征途中に周防で賊を倒し、豊後で土蜘蛛を倒した。熊襲梟帥(くまそたける)との戦いに勝利すると、天孫降臨の地にして神武天皇の生まれ故郷の日向の地に6年とどまり、翌年皇居に戻った。なおこの親征は古事記には記されていない。
97年に再び熊襲が背くと、実子の日本武尊に討伐軍を率いさせて平定し、110年には、日本武尊を蝦夷平定に派遣した。伊勢神宮で草薙剣を授かった日本武尊は、戦わずして蝦夷を平定したと言われている。
九州征伐や東征により、崇神天皇が統一した天下以上の地を大和朝廷の支配下に加える戦いに明け暮れた景行天皇だったが、日本武尊の薨去後は、その死を悼んで戦歴をたどる為の東国行幸を行った。そして130年、143歳でお隠れになられた(古事記では137歳)。
景行天皇と言う諡号は、漢風諡号を持たない神武天皇から元正天皇までの44代(弘文天皇と文武天皇を除く)に対して、奈良時代の文人「淡海三船」が漢風諡号を一括撰進して以降呼ばれるようになったもので、古事記では大帯日子淤斯呂和氣天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)、日本書紀では大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)と呼ばれている。
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関連項目
11代 | 12代 | 13代 |
垂仁天皇(すいにんてんのう) 紀元前29~70 |
景行天皇(けいこうてんのう) 71~130 |
成務天皇(せいむてんのう) 131~190 |
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