- プロ野球選手一覧 > 本西厚博
本西厚博(もとにし あつひろ)とは、元プロ野球選手である。
概要
OB | |
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本西厚博 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 長崎県長崎市 |
生年月日 | 1962年5月15日 |
身長 体重 |
175cm 76kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手、内野手 |
プロ入り | 1985年 ドラフト4位 |
引退 | 2001年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
瓊浦高等学校に進学。3年時にエース兼四番打者として夏の甲子園大会に出場しているが、1回戦で敗退している。
卒業後、三菱重工長崎に入社。ここで内野手に転向し、都市対抗野球大会に合計5度出場[1]し、日本代表にも選出されるなど、社会人屈指の内野手としてプロからも注目されるようになった。
1985年ドラフト会議にて、阪急ブレーブスからドラフト4位指名を受け、翌年1986年に入団。内野手として入団したが、入団後数日の練習で外野手にコンバートされた。
初年度の1987年、控えの外野手として一軍に定着し、松永浩美離脱時にはサードとしても試合に出場。114試合に出場し、打率.242、2本塁打、14打点、10盗塁の成績を残した。
1989年、規定打席には到達しなかったものの120試合に出場し、打率.302、5本塁打、33打点をマークし、ゴールデングラブ賞を受賞した。
1991年、外野のレギュラーに定着し、キャリアで唯一の規定打席に到達。120試合に出場し打率.264、4本塁打、22打点、13盗塁をマーク。
以降も貴重なスーパーサブとして活躍した他、1994年からは外野のレギュラーに定着したイチロー・田口壮の指導役となり彼らの守備面の指導にあたり、歴代屈指とも称される鉄壁の外野陣を形成。本西はセンターに入り、守備位置の指示を送っていた。
1997年シーズン途中、金銭トレードで阪神タイガースへ移籍。8月のヤクルトスワローズ戦では逆転満塁ホームランを放っている。
1998年シーズン終了後、戦力外通告を受けた。その後、阪急時代の恩師である上田利治率いる日本ハムファイターズに入団。
日本ハムでも貴重なサブとして94試合に出場したが1シーズン限りで戦力外通告を受けた。その後、千葉ロッテマリーンズの入団テストを受け合格し、同球団に入団。
ロッテでは外野のサブとしての出場以外にも、守備に不安のある初芝清の守備固めとしてサードに入ったり、代走で起用されるなど目立たないながらも貢献度は高かった。
引退後はロッテや東北楽天ゴールデンイーグルスでのコーチを始め、社会人野球クラブの千葉熱血MAKINGやKBOのロッテ・ジャイアンツ、独立リーグの信濃グランセローズ、女子野球のハナマウイ女子硬式野球部など、様々なチームでコーチや監督を務めた。
現在は社会人野球チームのハナマウイの監督を務めている他、解説者として活動している。
人物・エピソード
鉄壁の守備で阪急・オリックスの黄金時代を支えたスーパーサブ。スタメン出場は主に左投手相手の試合での起用が多かった。
守備の人のイメージが先行しがちだが、打撃面ではしぶとい打撃を持ち味とし、近鉄バファローズのエースであった阿波野秀幸を得意としていた。
通算成績
打撃成績
通算:15年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1389 | 3118 | 2715 | 373 | 700 | 22 | 240 | 75 | 136 | 16 | 226 | 52 | 465 | 63 | .258 | .319 |
獲得タイトル・表彰
関連動画
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関連項目
脚注
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