浅井氏(あざいし)とは、江北の戦国大名である。通字は「政」。読みは「あさい」とも。
概要
浅井氏は近江国の浅井郡を本拠地とした国人領主であった。正親町三条公綱の落胤である浅井重政を祖とするのもあるが、生年があわないのもあり、よくわからない。有力なものの1つに近江国の在地豪族であったものと推定される。
近江国は当時北に京極氏、南に六角氏が勢力を張っており、浅井氏は京極氏の一被官という立場であった。京極氏は戦国期突入直前までは江北、飛騨、出雲、隠岐の3ヶ国半を治める太守であった。(飛騨と隠岐は面積がとても狭いが…)戦国期になると京極持清の死後、幼少の京極孫童子丸が継ぐも1年で夭逝し、持清の三男・京極政経と孫童子丸の兄・京極高清の間でお家騒動が勃発した。庶流の浅井直種が政経の子・京極材宗に味方して1502年ごろに高清方によって戦死したという。
高清方の勝利となったが、今度は高清の長男・京極高広と次男・京極高吉のお家騒動が勃発し、浅井亮政が高広派として活躍。浅見貞則らと共に高清・高吉父子を追放、のちに貞則をも追放し、高広を傀儡に据えて浅井氏の当主として君臨することも成功した。しばらくは京極氏との抗争に明け暮れるが、1550年に和睦した。
一時期六角氏の従属下に置かれるも、野良田表の戦いで勝利し独立を勝ち取る。浅井長政は織田信長の妹・お市を娶るも信長の越前侵攻に反発して挙兵する。姉川の戦いで善戦するも敗れ、1573年に信長の家臣・羽柴秀吉の猛攻により自害、浅井氏は滅亡した。
しかし、長政の娘たちによって江戸幕府の将軍の血脈の中へと受け継がれることとなった。
異説
尾張にも浅井氏がいるが、豊臣秀吉は尾張浅井氏の庶流という説がある。
=浅井氏略系図=
- ‖:養子 / 下線付き:養子に行った人物
浅井重政 | ||||||||||||||||
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浅井忠政 | 浅井直種 | |||||||||||||||
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浅井直政 | 三田村定政 | 浅井清政 | 浅井亮政 | 浅井政種 | 浅井井演 | |||||||||||
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浅井政信 | 浅井惟安 | 田屋明政 | 浅井秀信 | 浅井貞政 | 浅井久政 | 浅井政弘 | 浅井秀政 | 浅井井伴 | ||||||||
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浅井政澄 | 浅井亮親 | 浅井盛政 | 浅井長政 | 浅井政元 | 浅井政之 | 浅井井規 | ||||||||||
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浅井万福丸 | 浅井長明 | 淀殿 | 常高院 | 江与 | 浅井井頼 |
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