- プロ野球選手一覧 > 濱田達郎
濱田達郎(はまだ たつろう、1994年8月4日-)とは、愛知県名古屋市出身のプロ野球選手(投手)である。現在は中日ドラゴンズに育成選手として所属。
概要
中日ドラゴンズ #204 | |
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濱田達郎 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
生年月日 | 1994年8月4日 |
身長 体重 |
185cm 95kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2012年ドラフト2位 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
地元の愛工大名電高校で1年秋からエースとなり、6試合連続完投でチームを県大会優勝に導く。2年夏は県大会決勝で敗れ甲子園を逃したが、秋にチームを東海大会優勝、明治神宮大会準優勝に導き、花巻東の大谷翔平、大阪桐蔭の藤浪晋太郎とBIG3として並び称されるまでに評価を高めた。
3年時は春夏連続で甲子園出場。春はベスト8に進むも、夏は左肩を痛めてフォームを崩し、甲子園でも1回戦敗退となりスカウトからの評価も落ちてしまった。
2012年のドラフト会議で、地元の中日ドラゴンズに2位で指名され入団。背番号は43。
中日時代
2013年は二軍で主に先発を務めたが、左肩の不安やフォームの試行錯誤もあり、2勝8敗、防御率6点台と結果を残せなかった。フェニックスリーグで小笠原孝コーチの助言もあってようやくフォームが戻り、好成績を残す。
2014年、4月下旬に一軍初昇格。中継ぎで2試合投げたのち、5月7日の阪神タイガース戦、先発予定だった川上憲伸が腰痛で登板回避し、試合開始1時間半前に先発を告げられ、この試合で見事6安打11奪三振の初完封勝利を挙げた。これが、2014年中日投手陣の完投勝利一番乗りとなった。また、かつて並び称され、濱田より早く一軍で結果を残していた大谷・藤浪より先に初完封を達成することになった。その後先発ローテ入りし5勝を挙げたが、8月に左肘の靱帯損傷で戦線離脱しシーズンを終えることに。
2016年は1試合に終わり、戦力外通告を受ける。その後育成選手契約を結んだ。背番号は203。
2017年も左肘尺骨神経剥離術を受けたため二軍でも登板なしに終わる。
2018年7月にようやく二軍で実戦復帰。しかし2試合登板したのみで、オフに今度は左腕の血行障害で三度目の手術を受ける。
2019年は二軍で15試合に登板し、途中からサイドスローに転向。防御率8点台と結果は残せなかったものの、無事に実戦復帰を果たしたということでオフの契約更改時に支配下登録に復帰した。背番号69。
2020年は二軍で中継ぎとして防御率1.29と結果を残し、8月に4年ぶりに一軍昇格。中継ぎで7試合に登板したが、防御率6.75に終わり8月末で二軍落ち。二軍では25試合で防御率1.35と結果を残したが、その後の一軍昇格はなくシーズンを終えた。
2021年は春のキャンプでブルペン投球時に右足をひねり、右足関節の靱帯縫合手術を受けることになってそのままシーズンを棒に振った。11月にも右脚の手術を受け、これでプロ入り6度目の手術だとか。オフに再び育成落ちとなり、背番号204に。
成績
- (2021年終了時点)
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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2014年 | 中日 | 16 | 13 | 1 | 1 | 5 | 3 | 0 | 0 | .625 | 79.2 | 33 | 72 | 40 | 36 | 4.07 |
2015年 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 15.2 | 16 | 9 | 13 | 13 | 7.47 | |
2016年 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 4.0 | 5 | 0 | 7 | 7 | 15.75 | |
2020年 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 5.1 | 3 | 5 | 4 | 4 | 6.75 | |
NPB:4年 | 28 | 18 | 0 | 0 | 5 | 7 | 0 | 0 | .455 | 104.2 | 57 | 87 | 64 | 60 | 5.16 |
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関連項目
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