相鉄5000系とは、1955年から2009年2月まで相鉄に在籍した車両の1つである。
初代5000系
1955年から1960年にかけて、日立車両製作所にて合計20両が製造された。
ボディーマウント構造を日本の高速鉄道用で初めて採用。前面はその当時の流行だった湘南顔を採用した。
最初は18メートル級2両固定編成(最初の4両は17メートル級)で製造されたが、後に中間車も製造されて4両固定編成となったものもあった。
また、日本の鉄道会社としても比較的早期に駆動方式に直角カルダンを採用。これは、9000系まで継続採用されている。
しかし、特殊な構造が仇となり、登場から20年たたずに5100系へと改造された。
5100系
初代5000系の登場から17年が経ち老朽化が進んだことや、6000系の登場により20メートル級車体が標準となったために1972年から1975年にかけて20両すべてを車体更新した。これが5100系である。
改造は東急車輛で行われ、これにより20メートル級のアルミ車体や冷房装置などを手に入れた。1972年製造の車両には窓ガラス支持方式が黒色Hゴムだったが、1975年製造の車両は金属で抑える方法に変更となった。
車内設備として、日本の通勤列車としては初めて押しボタンで操作ができる油圧式自動窓が設置された。これは9000系まで採用された。
20両が改造されたものの、初期車4両は出力や台車の違いから専ら予備車であった。また、全車が動力車だったため、整備に手間がかかったらしい。そのために、更なる改造がされることとなった。
5000系
走行設備にもガタが来始めたため、1988年から1989年にかけて東急車輛にて改造がされた。
改造の際に出力等が違った編成も混ぜて運用することとなったため、4両×5編成が5両×4編成へと改造された。
その際の名残として、横浜寄り3両目の横浜方の妻面窓はやや高い位置にあり、外から見ても車体下端部に斜めの切れ込みがある。
主な改造内容としては、台車・制御装置の交換(東洋電機製)、車内設備の向上(新7000系同様の旅客案内表示器を設置)等が行われた。また、全車電動車方式から付随車組み込み方式へと変更。大出力モーターを装備し、単独電動車方式の2M3Tの編成となった。駆動方式は直角カルダンのままであり、ブレーキも7000系等とは違い、回生ブレーキ併用の一般的な電磁直通ブレーキとなった。
改造後は5両を2本繋げた10両編成2本の体制で営業運転を行った。切り離し等は基本的に行わなかったが、稀に中間車2両を抜いて8両で走ったこともあった。
10000系の導入により、7000系が10両に組み替えられて5000系2編成は休車扱いになり、厚木に留置された。5051×10は2005年3月に厚木操車場にて解体された。なお、この解体を最後に相鉄では厚木操作場での解体を行っていない。残った5053×10だが、同年5月に7000系が軽ワゴン車から衝突されたことにより廃車となり、緊急予備の目的で復活した。
2007年には全般検査が行われ、シングルアーム式パンタグラフに改造された。しかし、他系列につけられている転落防止幌は設置されないなど、あくまで予備車であり、近々に廃車を思わせるような扱いであった。
しかし、2008年度に11000系導入を発表。2009年2月7日には相模大塚駅にて撮影会が、11日にはさよなら運転が行われ、相鉄5000系は長い歴史に幕を閉じた。撮影会の際には編成を分割して展示、全側面が違う表示になるなどのサービスがあった。また、11日のさよなら運転では種別部分に赤地白文字の感謝・希望の幕を表示させるというサービスがあった。
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