辛評とは、三国志に登場する人物である。
弟と命運を分かった袁家の謀臣
字は仲治。頴川郡陽翟県(河南省禹州市)の出身。弟に辛毗がいる。
同郷の郭嘉、郭図、荀彧、弟の辛毗と共に袁紹に仕えたが、郭嘉が袁紹は人の才能を見抜けず覇業を成し遂げられないと郭図や辛評らに語って袁紹の元を去ったという話がある。
また官渡の戦いの後、孟岱や蒋奇らが審配のことを袁紹に讒言すると辛評は郭図と共にこれに同意したが逢紀の諫言で袁紹は讒言を聞き入れなかった。
202年(建安7年)袁紹の死後、後継者をめぐって袁家に内紛が起きる。郭図と辛評は長男の袁譚を支持し、審配と逢紀は三男の袁尚を支持した。
曹操は袁譚・袁尚の勢力を攻めるが、郭嘉の「今攻めて二人を結束させるより、放置して争わせた方が良いという進言を受けていったん兵を引き上げる。果たして郭図と辛評は袁譚を唆して袁尚を攻めさせるが敗北し、袁譚は事もあろうに曹操に救援を求めた。
この時、曹操への使者となったのが辛評の弟辛毗である。曹操は袁譚と一時的に和議を結んだが辛毗はそのまま曹操のもとに留め置かれ、その家臣となった。
この後の辛評の軌跡は不明である。袁尚の本拠地だった鄴は審配が守備していたが、204年(建安9年)曹操が攻めて包囲した時に城内にいた辛毗と郭図の家族は脱出したが辛評の家族は収監されてしまう。鄴が審配の甥の審栄の内通で陥落する際、辛評の家族は審配に皆殺しにされた(辛毗が駆け込んだが間に合わなかった)。
各メディアにおける辛評
三国志演義
最初は韓馥に仕えていた。官渡の戦いでは短期決戦を支持する。
袁譚の本拠地だった南皮に曹操が攻め込んできた時、降伏の使者として派遣される。曹操は弟辛毗と同様に自分に仕えるよう辛評を勧誘し、辛評はそれを断ったが袁譚の元に戻った時に内通を疑われ、辛評は怒りの余り憤死してしまう。
三国志大戦
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関連項目
- 三国志の登場人物の一覧
- 韓馥 / 袁紹 / 袁譚
- 辛毗
- 官渡の戦い
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