馬齢(ばれい)とは、馬の年齢のことであり、曖昧さ回避として以下の意味を持つ。
曖昧さ回避
本記事では両方について取り扱うが、主に1.について取り扱う。
概要
人間は、生まれた年が0歳で、次の誕生日が来るたびに1歳年を取る(満年齢)。しかし、馬はこれと異なり、特定の日付(北半球では1月1日)が来るたびにすべての馬が一斉に年を取る。
競馬・馬術競技には馬の年齢に制限がある競技があるが、誕生日で年を取っていたのでは、その競技の当日が誕生日の馬と翌日が誕生日の馬で事実上1年近く差がある状態で戦うことになってしまう。また、競馬にある2歳・3歳限定戦の場合、誕生日の都合でハンデどころか出られないレースが出てきてしまう。
例えば、2019年の皐月賞(3歳限定)は4月14日、2020年は4月19日であるが、馬の年が満年齢を基準としていた場合、2016年4月18日生まれの馬は2019年の時点では誕生日が来ていないので満2歳で出られず、2020年の時点では誕生日を過ぎてしまい満4歳になるので出られず…と出られる年がなくなってしまう。すべての馬が1月1日に年を取るのであれば、このような馬でも2019年の皐月賞に出られるわけである。「年齢」というが、人間でいうと「学年」に近い概念である。
では、12月31日生まれの馬は(北半球では)次の日には1歳になってしまうのではないか、と思うだろう。確かにその通りなのだが、馬は季節性繁殖動物でほとんどが春に生まれてくるため、このような問題はほとんど起こらない。ただし、希に12月に誕生してしまう幼駒もおり、そのような馬は競走馬としては重大なハンデを背負うことになる。→プリーミー
この、馬が年を取る「特定の日付」であるが、北半球の国々では、北半球産馬は1月1日に年を取ると定められている。一方、南半球は北半球と季節が反対のため、年を取る時期も反対になる。その日付は7月1日の国もあれば8月1日の国もあり、一定しない。また、北半球の国でも、南半球産馬が年を取る日をどう規定しているかは国によって異なる。
国際表記(いわゆる「満年齢」)
馬の年齢は、生まれた年を0歳とし、次の起算日が来ると1年年を取ると定められるのが国際的な慣習である。起算日は北半球産馬の場合一律1月1日。南半球産馬では下記を参照。
日本では長らく下記の「数え年」表記が用いられていたのだが、2001年より国際基準に合わせるため、この方式に改められた。
なお、日本ではこちらの表記をさして「満年齢」ということがあるが、満年齢とは「生まれた年が0歳、次の誕生日が来るたびに1歳年を取る」という形式をいう。馬の場合、誕生日ではなく起算日で一斉に年を取るため、この言い方は適切ではない。
南半球産馬の扱い
南半球では、北半球と半年ズレた時期を起算日とするのだが、南アメリカでは7月1日、オセアニアや南アフリカでは8月1日と一定しない。
北半球諸国における南半球産馬の扱いは、北半球と同じく1月1日を年齢の起算とするか、南半球の起算日に合わせるかが競技の統括団体によって違う。
日本中央競馬会では、南半球産馬でも北半球産馬と同じく1月1日を起算日とする。ただし、南半球産馬には起算日が半年ズレていることを考慮した減量が行われる(負担重量の記事を参照)。
サウジアラビアでは、北半球産馬が1月1日、南半球産馬が一律7月1日と定められている。
日本の旧表記(数え年)
→数え年
人間の数え年と同じく、生まれた年を1歳とし、次の1月1日が来ると1歳年を取る。
日本では、2000年までこの数え年表記が使われていたが、外国産馬の輸入が盛んになったことなどにより、2001年から国際表記に改められた。
ニコニコ大百科では、現役期間が2000年までの競走馬では旧表記(多くの記事では冒頭に注釈がある)、現役期間が2001年以降の場合は新表記で表していることが多い。2001年をまたいでいる場合は、新表記の方に統一することが多いようである。
レース名などの表記
旧表記時代に「◯◯3歳ステークス」という名前だったレースのほとんどは、2001年以降「◯◯2歳ステークス」に改められた。例外として、「朝日杯3歳ステークス」「阪神3歳牝馬ステークス」は、また変えられちゃかなわんと思ったのか「朝日杯フューチュリティステークス」「阪神ジュベナイルフィリーズ」に変更されている。
一方、「◯◯4歳ステークス」は「◯◯3歳ステークス」にならず、すべてが年齢を用いない表記に変更となった。例えば、「中日スポーツ賞4歳ステークス」は「ファルコンステークス」に変更されている。
同様に、「JRA賞最優秀◯歳牡馬/牝馬」も、2001年を境に新表記に改められている。テイエムオーシャンはこの時期をまたいでJRA賞を2年連続で受賞したため、「JRA賞最優秀3歳牝馬」を2年連続で受賞するという珍記録を持つことで有名。
2.の概要
詩人は早く死んではならない、何が何でも生き抜いて書いていなければならないのだ、生きることは詩を毎日書くことと同じことなのだ。私自身にとっても馬齢を重ねて七十にあと一年しかないのだが、四、五年か或いは二、三年前かに死んでいたら、今日の仕事の積みかさなりが見られなかったわけである。
通常「馬齢を重ねる」という形で、「無駄に年ばかり重ねてつまらない人生を歩んできました」という意味を持つ。これは「小生」「愚息」などと同じく、自分や自分に近しいものにへりくだった表現を使うことで相手に敬意を払う用法である。
したがって他人に対して「あなたも馬齢を重ねましたね」などと言ってはいけないし、言われたら怒ってよい。もしくは「『馬齢を重ねる』の用法を知らないなんて、あなたの方が馬齢を重ねてきたのではありませんか?」と皮肉の一つでも言ってやろう。
関連動画
関連静画
関連リンク
関連項目
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