シンボリクリエンスとは、1985年生まれの日本の元競走馬である。
主な勝ち鞍
1991年:東京障害特別(春)、東京障害特別(秋)
1992年:中山大障害(春)、中山大障害(秋)
1991年JRA賞最優秀障害馬
1992年JRA賞最優秀障害馬
父*モガミ、母スイートスワニー、母の父パーソロンの血統で北海道の静内町のシンボリ牧場で1985年3月21日に生まれたシンボリクリエンスは美穂の境征勝厩舎に所属し、1988年の明け3歳(旧4歳)の1月の中山競馬場の4歳新馬ダート1800mでデビューし1着となった。
その後5戦して勝ち上がれず、2勝目は夏の福島競馬場で400万下(現・1勝クラス)の、ほおずき賞で2勝目をあげた。
その5戦続けて馬券に絡むことが出来ず、4歳(旧5歳)になったあとの6戦目で900万下(現2勝クラス)の中京スポーツ杯で3勝目をあげた。
しかしその後勝ち上がることが出来ず、障害に転向することとなった。
1990年の5歳(旧6歳)の3月に障害に転向した後の初戦を迎えたが、初戦は競走中止だった。2戦目は3着となり4月21日に3戦目で障害戦初勝利をあげた。
続けて5月13日、当時は障害競走にも条件戦があったため400万下に出走し連勝で勝ち上がった。その後障害オープンで2戦した後は、半年の休養に当てた。
1991年の年明けの6歳(旧7歳)の1月15日レース名の無い5歳以上障害オープン特別で2着のあと、2月9日の東京障害特別(春)で重賞初制覇をした。
その後阪神競馬場の代替で行われた中京障害ステークス(春)を3着のあと、中山大障害(春)を2着となった。半年の休養にあて9月の障害4歳以上オープンを勝った後、東京障害特別(秋)を勝ち重賞2勝目となった。
その後中山大障害(秋)に出走も、同じシンボリの冠名のシンボリモントルーの2着だった。
1992年の7歳(旧8歳)に3戦した後、中山大障害(春)に出走した。このレースは8頭の出走だったが、途中で4頭落馬と過酷なレースとなったがシンボリクリエンスは1着となった。
勝ちタイムは重馬場で4:41.7だったのだが、2着との差が8.6秒差の大差で約51馬身差とJRAの記録として残る最大着差での勝利だった。その後は休養に当て12月にたたき台に1戦して中山大障害(秋)に出走し、春秋の連覇を果たした。
1993年の8歳(旧9歳)に3連覇を目指しぶっつけで中山大障害(春)に出走したが5着となり、これが最後のレースとなった。
引退後は馬事公苑に移動した後、福島県の農業高校に移動し、クリエンスグレーとの名前で馬術競技大会で活躍していたが、2011年に東日本大震災が発生し別の高校に避難していたが、元にいた高校、移動先の高校共に維持費が2012年に尽き、以降の消息は不明。関係者は助力したものの助けることが出来なかったと伝えられている。
*モガミ 1976 青鹿毛 |
Lyphard 1969 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Goofed | Court Martial | ||
Barra | |||
*ノーラック 1968 黒鹿毛 |
Lucky Debonair | Vertex | |
Fresh as Fresh | |||
No Teasing | Palestinian | ||
No Fidding | |||
スイートスワニー 1975 黒鹿毛 FNo.22-a |
*パーソロン 1960 鹿毛 |
Milesian | My Babu |
Oatflake | |||
Paleo | Pharis | ||
Calonice | |||
スイートピース 1970 鹿毛 |
*ステユーペンダス | Bold Ruler | |
Magneto | |||
*リアピア | Worden | ||
Jennifer | |||
競走馬の4代血統表 |
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/09(土) 02:00
最終更新:2024/11/09(土) 02:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。