ホッピービバレッジとは、『ホッピー』をはじめとする飲料を製造・販売する企業である。
創業者は石渡秀。2023年8月現在、代表取締役会長は石渡光一、代表取締役社長は石渡美奈 (通称・ホッピーミーナ)。光一は秀の子、美奈は光一の息子 (秀の孫) にあたる。本社は東京都港区赤坂、工場は東京都調布市にある。
石渡秀が1905年に陸軍の御用聞きとして餅菓子屋『石渡五郎吉商店』を創業 (五郎吉は秀の父の名) 。その後秀水舎、コクカ飲料株式会社の名を経て、現在はホッピービバレッジ株式会社となっている。
もともと軍隊の要請でラムネ、サイダーの製造をしていたことから、大正期になると当時流行していたノンアルコールビール (ノンビア) の製造を依頼される。ノンビアは現在のノンアルコールビールと比べると若干のアルコールは含まれており (それでも2023年現在の法律では酒類には該当しないが) 、また当時の多くはホップが入手できない中小企業が多く作っていたため [1] 秀は「たとえビールの代用品だったとしても、ホップがないビールなどまがい物である」とこれを固辞。
その後ラムネが売れないため雪国に勝機を見出して長野県の野沢にラムネ工場を建てる。このことで、ホップの日本最大の生産地であった戦中の長野県にコネクションができ、ホップを入手できた。この後、醸造技術を実弟に学ばせるなどしたが、第二次世界大戦のためにラムネ工場を軍用機の計器工場として接収されてしまう。敗戦後、砂糖の入手が困難になったことで、ようやくノンビアの製造・販売を開始。
当時は敗戦後ということもあり、粕取焼酎や工業用アルコールの水割りみたいな密造酒が流行っていたことから、この粗悪酒をホッピーで割るとビールの味になるとして大衆に広くブレイクすることとなる。
その後は第二次ホッピーブームも産まれるものの、普通のビールや代替となる他の飲料がブレイクすることで、焼酎の割材としてのホッピーの人気は下火となる。このとき、石渡美奈が経営者となり、インターネットを利用した情報発信を開始、同時に美奈がマスメディアに「女性の社会進出」の象徴として取り上げられたのをきっかけに、健康志向やホッピーを描いた配送要トラック (ホビトラ) による広告戦略で増収増益となる。社長自身も『ホッピーミーナ』としてラジオなどで精力的に活動。
ホッピービバレッジは基本的に全国展開を考えず、地元企業として東京、赤坂を主軸に製造を続けている。ただしネット販売の影響で全国区でも売れている。
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最終更新:2024/05/03(金) 22:00
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