マーシャル・ネイ級モニター(Marshal Ney-class monitor)とは、イギリス海軍が作ったモニター艦である。
マーシャル・ネイ級は、イギリス海軍が第一次世界大戦当時に建造したモニター艦である。
そもそもこの場合のモニター艦とは、イギリス海軍が火砲支援のため小型の船体に戦艦クラスの主砲を搭載して作り上げた砲艦、あるいは移動砲台的な代物である。マーシャル・ネイ級もその御多分にもれず、38.1cm連装砲を一基搭載している。この38.1cm砲はリヴェンジ級戦艦(38.1cm連装4基)の6番艦と7番艦をレナウン級巡洋戦艦(38.1cm連装3基)に変更したために発生した余剰で、マーシャル・ネイ級は余った数に合わせ2隻建造された。
このフネが完全に移動砲台以上のものではなかったのは設計最高速度9kt、実際の最高速度6ktという低速さからも明らかであるが、これは本来より小さい貨物船向けに設計されたディーゼルエンジンを搭載したことによるものだった。その概要は全長108mに対し全幅27mという寸胴な平甲板船体に三脚檣と主砲塔一基といくらかの機銃だけを並べためがっさシンプルなもの。そして言わずもがな、あのジョン・アーバスノット・フィッシャー第一海軍卿とウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル海軍大臣の指導下で作られた艦でもある。
そんなふうにして1915年に就役したマーシャル・ネイ級だが、やはりモニター艦では真面目な水上戦闘艦に襲われでもしたら一巻の終わり、その上嫌になるほど遅いわ航空機は登場するわであまり出番もなく、というか1916年には一番艦<マーシャル・ネイ>の38.1cm砲はもうすこしちゃんとしたデザインのエレバス級モニター<エレバス>に献上されて23cm砲に差し替えられ、警備艦となり一次大戦終結を迎える。
その後は戦間期をさしたる変化もなく過ごしたが、1941年にロバーツ級モニターが建造されると二番艦<マーシャル・スールト>の主砲までも<ロバーツ>に差し出され、10.2cm砲を積んでこちらも警備艦へと格下げされた。地味に二次大戦を生き延び、<マーシャル・ネイ>は1957年、<マーシャル・スールト>は1947年にそれぞれ解体。
ちなみにイギリス海軍は第一次世界大戦において、モニター艦を35隻も建造(あるいは開戦に伴い購入)しており、やはり数が多すぎたのか、途中(M15級モニター)からは艦名をつけるのを諦めている。前弩級戦艦からの流用が主とはいえ、戦艦クラスの主砲余りすぎ、使いまわしすぎである。
ところで、このマーシャル・ネイ級が何よりも変なのは、やはりその艦名である。
ネームシップは<マーシャル・ネイ>、二番艦は<マーシャル・スールト>。
そう、その由来はミシェル・ネイ元帥とニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト元帥。ナポレオン戦争でイギリスの敵であったフランス軍人の名前なのである。イギリス海軍なのに。
むろん建造された当時はフランスは同盟国だったが、それにしても2隻揃ってイギリスが勝った戦争で敵方だった将軍の名を平然とつけるセンスは流石イギリス人である。まぁマーシャル・ネイ級に先立つ<ロバーツ>には進水時<ストーンウォール・ジャクソン>(アメリカ南部連合の勇将)とか名づけていたりするし、<アバークロンビー>とか<ロード・クライヴ>はフランスに大勝利してるし、<プリンス・ユージーン(ドイツ語読みで「プリンツ・オイゲン」)>なんて本人の頃はともかく一次大戦では敵国なオーストリア人(なおフランス相手に勝利)。それどころか自国イギリスの将軍でも<トーマス・ピクトン>(ワーテルローで戦死)とか、<ジェネラル・ウルフ>(七年戦争でフランスに勝利)とか、<ラグラン>(クリミア戦争で戦病死。なお指揮能力は評判悪し)なんてのもある。
モニター艦はその任務故か著名な陸軍軍人の名が付けられたようではあるのだが、この露骨なフランスへの当てつけっぷり、いやそれどころか自国の陸軍にも怒られそうなラインナップなのはさすがイギリス海軍。
尤もイギリス海軍においてはフランスへのあてつけはお家芸のようなもので、<サンス・パレイル>や<テメレーア>など主力艦においてもフランスから鹵獲した戦列艦の名前をわざわざ襲名させている(表向きは武勲艦故に襲名しているとある)。
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最終更新:2025/12/17(水) 08:00
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