| OB | |
|---|---|
| 仁村薫 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 埼玉県川越市 |
| 生年月日 | 1959年5月9日 |
| 身長 体重 |
176cm 75kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 1981年 ドラフト6位 |
| 引退 | 1990年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督・コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1959年5月9日生まれ。埼玉県川越市出身。弟:仁村徹もプロ野球で活躍。
川越商業高等学校へ進学。エースとして活躍したが、甲子園大会には手が届かなかった。
卒業後、早稲田大学へ進学。3年時からエースとして活躍し、4年時には日米大学野球の日本代表メンバーにも選ばれている。
1983年ドラフト会議にて、ドラフト6位で読売ジャイアンツから指名を受け入団。同期入団には槙原寛己・吉村禎章・村田真一らがいた。
1984年、外野手に転向。同年は守備固めを中心に24試合に出場。プロ初本塁打も放っている。
その後も控えの外野手としてプレー。1985年には72試合に出場して、打率.238、3本塁打、9打点を記録。
1987年にはキャリア最多の98試合に出場したものの、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。その後、弟の徹が所属する中日ドラゴンズへ移籍。
1988年、開幕は二軍スタートであったものの、一軍昇格後は守備固めだけでなく、代打や左投手先発時のスタメンなどで活躍。7月の大洋ホエールズ戦では、大洋の抑えの切り札であった中山裕章からサヨナラタイムリーヒットを記録するなど、しぶとく活躍。76試合の出場で、打率.287、7本塁打、24打点とキャリアハイの成績を残し、セ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズでも2試合に出場している。
1990年、14試合の出場にとどまり、同年限りで現役を引退。引退試合となった試合では、試合終了後に中日ナインから胴上げをされている。
引退後は解説者を経て、1995年に巨人の外野守備・走塁コーチに就任。その後は中日や東北楽天ゴールデンイーグルス、社会人野球の所沢グリーンベースボールクラブでもコーチを務めた。
堅い守備と意外性のある打撃で活躍した外野手。1988年には108打数で7本塁打と少ない打数で長打力を発揮した一方で、四球は7個と極端に少なかった。
弟の仁村徹とは1998年~1990年の3年間同じチームでプレーしており、その当時のスコアボードの表記は「仁村兄」であった。兄弟仲も良く、中日・楽天では同時期に指導者として活動していた。
| 通算:7年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 396 | 432 | 394 | 52 | 91 | 15 | 60 | 5 | 15 | 4 | 16 | 3 | 87 | 107 | .231 | .264 |
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最終更新:2025/12/05(金) 20:00
最終更新:2025/12/05(金) 19:00
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