2011年5月現在の現住人口は約12万人で世帯数は約4万世帯である。
1889年に福島県で初の市制を施行して若松市となった。1955年の周辺村編入時に市名を会津若松市に変更した。
地元以外の場所や観光ガイドでは「会津」と省略される。地元では、地方を指す場合に「会津」を使用し、都市を指す場合は「若松」を使用している。
観光の町として栄え、現在は会津若松城(地元では鶴ヶ城と呼ばれる)を中心に
旅行客でにぎわう。
特に春に行われる桜祭りは楽しいよ!
超満開の桜だよ!
観光客も町の青年会のおっさんもブルーシートをしいて酒飲みしてるよ!
深夜まで飲み、お堀から小便をしようとして落ちる馬鹿がいる。毎年。
周辺の塾に通ってた私が先生から聞いた。
ちなみに城は戊辰戦争時に焼失したが、
現在は観光用に天守閣が復活した。
戊辰戦争時の白虎隊の話は市民全員が大体知っているベターな話である。
ドラマ化も2回された。
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戊辰戦争時、幕府側に付いた会津藩は疲弊し、
ついに「白虎隊」を出陣せざるを得なくなった。
白虎隊はあくまで予備部隊。
メンバーは15~17歳(数え年なので、実際は現在の13~15才)の若者たちであった。
鶴ヶ城を守る為、懸命に戦った白虎隊であったが、
新政府軍にフルボッコにされ、飯盛山へと逃げる。
命からがら逃げ切った彼らであったが、頂上前で轟々と燃える鶴ヶ城を見てしまう。
(実際はまだ落城していなかった)
もはやこれまでと悟った若者達は、「戦敗兵として生き恥を晒すくらいなら」と自決してしまうのであった。
当時13歳で入隊した少年はどうしても死に切れず、奇跡的に生き延び、
この悲しい結末が世に広がる事となる。終わり。
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泣いてもいいのよ?
雪がバカみたいに降るので、
ウィンタースポーツによる観光業も盛んである。
特に磐梯山周辺には複数のスキー場が開発されている。
冬に磐梯山を見るとリフトの灯りが都市部からでも確認できる。
逆に言えば開発されすぎてハゲ山化しているともいえるだろう。
毎年、各学校でスキー教室が開催され、
地元民はだいたいスキーが上手い。でもスノボはヘタ。
雪が降ることは嬉しい事ばかりではなく、
交通の障害になったりと大変なのだ。
遠方から若松市内の高校に通う生徒は、
積雪量によっては登校できないので休学扱いになる配慮もされている
しかし、会津鉄道や只見線といった路線は
どんだけ積雪があっても動く。
2m級の雪が降っても普通に動く。
多少吹雪いても動く。
駅に人が来れないのに動く。
地方の同級生曰く、「それならもっと運行本数を増やせ」と怒っていた。
日本酒に適した地下水が流れている。
蔵の町と呼ばれる由縁である。
酒造博物館もあるよ!
ちなみにこの酒造博物館は元々地酒メーカーだったが、
今は工場が無くなってしまった。
跡地は住宅街になってしまったけど、
社長がせめて博物館だけは・・・という熱い思いから、
今でも残っているよ!
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最終更新:2024/11/25(月) 23:00
最終更新:2024/11/25(月) 22:00
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