北別府学(きたへふきたべっぷ まなぶ)とは、広島東洋カープで活躍した精密機械である。
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1957年7月12日生まれ、鹿児島県末吉町出身。宮崎県立都城農業高校から、1975年のドラフト会議で1位指名され、広島東洋カープに入団。この頃はまだ全国的には無名の選手だった。
2年目から先発ローテ入りし、3年目の78年には10勝を達成。79年に17勝を挙げると、以降広島のエースとして88年まで11年連続2桁勝利を挙げ、川口和久・大野豊とともに80年代の赤ヘル黄金時代を牽引した。82年には35試合に先発し20勝8敗、防御率2.43という大車輪の活躍で最多勝と沢村賞を獲得。86年には18勝4敗、防御率2.43で最優秀防御率、最多勝、最高勝率、MVP、2度目の沢村賞とこれまた大車輪の働きでチームの優勝の原動力となった。しかしその一方で日本シリーズはなぜか苦手で、5回出場し6試合に先発したが0勝5敗と一度も勝てなかった。
92年にも14勝を挙げ、通算200勝を達成したが、93年以降は肘の故障で大きく成績を落とし、94年に現役を引退。通算成績は213勝141敗、防御率3.67。20世紀最後の200勝投手であり、通算213勝は広島の球団記録である。
球威のあるタイプではなく(通算被本塁打380はセ・リーグ記録)、奪三振率(通算5.08)も高くは無いが、「精密機械」と称される飛び抜けた制球力で長く投手王国広島のエースとして君臨した。制球力には絶対の自信を持っており、ストライクゾーンの判定に疑問があれば全く同じコースに2球、3球と続けて審判を試したという。現役引退後のコーチ時代には筋肉番付のストラックアウトでパーフェクトを達成している。同時期のセの球団のエースが、江川卓、小松辰雄、遠藤一彦など速球派が多かった中、クレバーな投球術で息の長い活躍を続けた。
引退後は解説者を務めたのち、2001年から2004年まで広島で投手コーチを務めた。2005年以降は再び解説者に戻り、広島ホームテレビで広島戦の解説をしている。2010年からは沢村賞選考委員。
2012年、広島での同僚であった津田恒美とともに野球殿堂入りを果たした。
2012年6月21日に、テレビ朝日系のアメトーーク(23:15-)で広島カープ芸人特集をやったところ、北別府氏のアメーバ公式ブログの21日分のコメント数が650以上と前日の50倍以上に達したが、23日18時の更新には「アメトーク放送後に頂いた600件を越すコメントを全て読みました」と、すべて読んだことを告白。さらには、それを一部返信するなど、人柄がうかがえた。
(2013年終了時点)
通算:19年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
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NPB | 515 | 135 | 28 | 213 | 141 | 5 | 0 | .602 | 3113.0 | 656 | 1757 | 1399 | 1268 | 3.67 | 1.26 |
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最終更新:2025/02/16(日) 23:00
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