| OB | |
|---|---|
| 大石正彦 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 山梨県甲府市 |
| 生年月日 | 1936年1月11日 |
| 身長 体重 |
169cm 63kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1954年 |
| 引退 | 1962年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督・コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
甲府商業高等学校に進学。エースとして活躍したが、甲子園大会出場歴は無し。
入団初年度の1954年、先発投手の一角として起用され、5勝16敗と大きく負け越しはしたが、防御率は3.79とそれなりの成績を残し、32勝しか挙げられなかった洋松の中では健闘した成績と言える。
以降も下位に沈むチームにおいて奮闘。1955年は8勝16敗、防御率3.51、1956年は9勝22敗、防御率2.71と、負け越しはしたが安定感のある投球を続けた。
1957年、12勝11敗、防御率2.64を記録し、キャリア唯一となる勝ち越し。
1958年、11勝を挙げたが14敗を喫した。
1960年、三原脩 新監督のもと先発だけでなくリリーフとしても起用され、9勝9敗、防御率2.00という好成績を残し、大洋球団初優勝に貢献。日本シリーズでも第3戦目に抑え投手として登板し無失点に抑えるなど、日本一にも貢献した。
1961年、22試合の登板にとどまると、シーズンオフにアキレス腱を断裂。
その後は帰郷し、スポーツ用品店を経営する傍ら、少年野球の指導者としても活動していた。
安定感のある投球で活躍した右腕。通算の勝率は.369とかなり悪い数字だが、通算防御率は3.06と好成績であり、当時のチームは万年ぶっちぎりの最下位であったことから、味方に足を引っ張られての敗戦が多かったようである。
通算62勝は、通算100敗以上を喫した選手の中では、小林恒夫に次いで2番目に少ない通算勝利数である。
打撃は苦手だったが、投手ながら通算で7盗塁を記録する俊足であり、代走として起用されることもあった。。
| 通算:9年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 326 | 53 | 5 | 62 | 106 | --- | --- | .369 | 1525.0 | 349 | 743 | 617 | 518 | 3.06 |
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最終更新:2025/12/13(土) 08:00
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