復讐するは我にありとは、
本記事では上記の1.について記す。
要するに「復讐は私がすることだ」「私が復讐者だ」といった意味合いの言葉。
「消せない恨みに燃える復讐鬼が、『ここで会ったが百年目! 恨みはらさでおくべきか! 復讐するは我にあり!』などと叫びながら武器を振り上げ、怨敵に襲い掛かっていく」……と言った感じの、バイオレンスな感じのフレーズとして聴こえるかもしれない。
だが実際には神の言葉であり、聖書内でこの言葉が登場するときには「復讐はわたし(神)が担当してあげるから、自分で復讐しようとしなさんな」といった文脈で用いられている。つまり、個々人による復讐を戒める、むしろピースフルな感じのフレーズである。
キリスト教の聖典である『新約聖書』のうち「ローマ人への手紙」第12章19節にある言葉としてよく知られている。
ただし、新約聖書の他の部分、例えば「ヘブライ人への手紙」第10章30節にもほぼ同様の言葉はある。
またこの「ローマ人への手紙」「ヘブライ人への手紙」は「かねてからこう記されている」とか「こうおっしゃった方を我々は知っている」といったように「既知の言葉を参照する」かたちで記されている。
その参照先は何かと言うと、おそらく旧約聖書(および、その元になったユダヤ教の聖典)の「申命記」第32章35節にある「לי נקם ושלם לעת תמוט רגלם כי קרוב יום אידם וחש עתדת למו」と言う文章ではないかと思われる。この中の「לי נקם」が「復讐するは我にあり」とも訳せるのだ。
ただし、旧約聖書(および、その元になったユダヤ教の聖典)は大部分がヘブライ語で、新約聖書の大部分はギリシャ語で書かれている。それを「どういった日本語に訳するか」についてはバリエーションがある。「ローマ人への手紙」第12章19節は実際に「復讐するは我にあり」と翻訳された記録が確かにある[1]が、他の表現で翻訳されている例も多い。また、原文ではほぼ同じ意味のことを言っているにせよ「ヘブライ人への手紙」第10章30節や「申命記」第32章35節が「復讐するは我にあり」という表現での翻訳をされることは少ないようだ。
英語でもこれらの一節は様々なかたちでの翻訳がされうるが、「vengeance is mine」(ヴェンジェンス・イズ・マイン)と言うかたちでの翻訳が比較的有名なようで、様々な創作物などにも流用されている。
文豪トルストイの代表作のひとつ『アンナ・カレーニナ』のエピグラフ(巻頭文)にもこの「復讐するは我にあり。我これに報いん。」という「ローマ人への手紙」12章19節(または「ヘブライ人への手紙」第10章30節?)からの引用文が掲げられている。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/23(火) 07:00
最終更新:2025/12/23(火) 07:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。