木下勝俊(1569~1649)とは、戦国時代の武将である。
また歌人・長嘯子としても知られた人物でもある。
豊臣寧々(高台院)の兄・木下家定の長男で、小早川秀秋は弟。仙蔵。式部大輔。侍従。通称若狭侍従。
ただしあくまでも俗説だが、豊臣秀吉の側室・京極竜子と前夫・武田元明の間に生まれた連れ子という伝承もある。
寧々との縁で木下家定一族は豊臣秀吉に仕え、おそらく1584年の小牧長久手の戦いで初陣。1586年頃に龍野城主、1598年頃に六万二千石の小浜城主になった。
と、ここまでは特に何も事績がない、豊臣秀吉の一門衆というだけで抜擢された織豊大名の一人にすぎなかった人物であったのだが、木下勝俊に試練が訪れる。そう、1600年の関ヶ原の戦いである。木下勝俊は東軍に属し、鳥居元忠らと伏見城に籠城した。一方西軍では小早川秀秋が伏見城攻略の攻め手の一人となり、兄弟で戦いが繰り広げられる…はずだった。
ところが、木下勝俊はとんでもない行動に出る。籠城中の城から逃走し、叔母である寧々のもとに駆け込むのである。こうして伏見城が落城し、関ヶ原の戦い本戦で東軍が勝利するなか、寧々に属し中立派であった父・木下家定と共に寧々の警護につき、悪く言えば何もしなかったのである。
その結果、この暴挙に徳川家康は激怒。東軍方で数少ない改易処分が行われ、大名の地位を失ったのである。さらに妻の森可成の娘は愛想をつかして出ていったそうだ。
1608年に父・木下家定没後、弟の木下利房とともに足守藩を相続し、再度大名に復帰した。が、木下勝俊はまたやらかす。相続分を独占し、弟の木下利房に領地を与えなかったのである。その結果、徳川家康はまた激怒。1609年に足守藩は改易され、木下勝俊はまた大名から転落したのである。
同時に改易処分をされた、弟の木下利房が大坂の陣で奮戦し、足守藩を再興する一方、木下勝俊は京都に在住し、以後歌人として過ごしていった。歌人としては、細川幽斎に師事し、『挙白集』などの著作を残し、「近世の和歌は長嘯子こと勝俊に始まる」と称されたほどであったそうだ。
| 軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
| 戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
| 武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
| 覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||
| 天翔記 | 戦才 | 60 | 智才 | 94 | 政才 | 142 | 魅力 | 71 | 野望 | 24 | ||||
| 将星録 | 戦闘 | 26 | 智謀 | 45 | 政治 | 61 | ||||||||
| 烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
| 嵐世記 | 采配 | 24 | 智謀 | 45 | 政治 | 57 | 野望 | 11 | ||||||
| 蒼天録 | 統率 | 22 | 知略 | 46 | 政治 | 45 | ||||||||
| 天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
| 革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
| 天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
| 創造 | 統率 | 31 | 武勇 | 29 | 知略 | 56 | 政治 | 56 | ||||||
掲示板
5 ななしのよっしん
2022/06/17(金) 07:44:42 ID: HeTsmMzOB5
ここでは「籠城中の城から逃走」とだけしか書かれていないけど、そもそも鳥居元忠が退去を迫った(退去しないと攻め寄せるとまで言った)という話もある
そもそも伏見城守備に就いてたらいきなり関ケ原が始まって、家康側に着くと言ったわけでもないのに攻められる形になったんだから、わりと気の毒
鳥居元忠めちゃくちゃ張り切っててコワ~、高台院の甥だからってことで秀吉に引き立てられた自分がなんで家康のために命捨てなきゃいけないの……って自分なら思う
この人の歌集を見ると、秀吉を偲んで悲しんだり早逝した娘を想って泣いたりといった歌も多く、愛情深い人だったんだなとわかる
奇人とかダメ人間扱いされることもあるけど、この人からしたらそれなりに平和な世を謳歌してたのに権力争いで命を奪い合う他の連中こそ狂気の沙汰だよって感じなのかも
6 ななしのよっしん
2023/02/25(土) 13:33:21 ID: TGp277APbY
寧々と家康が前田家や大蔵卿局の件で当時揉めてた疑いもあるしな
母が寧々の侍女である小西行長や大谷吉継から脱出を促されたかもしれないし、その立場から鳥居に疑われたり逆に気を遣われて退去を促された、なんてこともあったかもしれん
7 ななしのよっしん
2023/05/13(土) 18:37:07 ID: cJfPnT+QCM
文人としては現代でも評価が高くて研究もされてるんだね
あの木下家からそういう才能が生まれるなんてすごい事もあるもんだ
弟との差は環境の違いなんだろうなあ
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/13(土) 04:00
最終更新:2025/12/13(土) 04:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。