柴田佳主也 単語


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柴田佳主也(しばた かずや)とは、元プロ野球選手である。

概要

1968年3月16日生まれ。兵庫県明石市出身。小学生時代は6年間ソフトボールプレーし、中学入学後に本格的に野球を始めている。

明石高等学校に進学。2年時にチーム夏の甲子園大会に出場しているが、柴田自身は肘の故障を抱えていたためベンチ外。その後、甲子園大会出場はし。

卒業後、阿部企業に入社。1990年都市対抗野球大会に補強選手として出場し、準優勝に貢献。

1990年ドラフト会議にて、近鉄バファローズから4位名を受け入団。同期入団には水口栄二佐野重樹がいた。

プロ入り4年間は1軍出場し。

1995年、一軍デビューを果たし、7試合登板

1997年、一軍に定着し、に左のワンポイント投手として54試合登板し、防御率2.89を記録。同年、プロを喫しているが、初球を本塁打されたものである。プロ初敗戦が1球敗戦投手となったのは史上初(後に梅津智弘根本久が記録)、プロ生活一の敗戦が1球敗戦投手なのはNPB一の記録である。また、この敗戦以降負け投手になること引退しており、235試合連続負けなしもNPB記録である。

以降は毎年40試合前後に登板

2000年には、50試合登板して、3勝負けなし、防御率1.82と抜群の安定感を発揮。同年、プロ入り10年にしてプロ勝利記録したが、168試合でのプロ勝利NPB記録である

2001年プロセーブ記録し、42試合の出場で防御率4.35とやや精を欠いたものの、パ・リーグ制覇に貢献、日本シリーズでも4試合登板している。ただ、チーム若返り方針もあり、シーズン終了後、戦力外通告を受けた。

その後、3年連続で入団テストに合格し、日本ハムファイターズ阪神タイガース福岡ダイエーホークスと渡り歩いたが、4シーズン連続で戦力外通告を受けている。2004年シーズンを最後に現役を引退

引退後は、大スポーツ用品店でアドバイザーとして勤務している。

人物・エピソード

球速こそ130km/h台と速くはなかったものの、キレのあるスライダー武器に左のワンポイント投手として活躍したリリーバー

なにかとしい記録に縁のあった投手としても有名。

社会人時代、警備の仕事の最中にイノシシに襲われた事がある。

通算成績

投手成績

通算:10年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 259 0 0 4 1 1 --- .800 176.2 67 103 77 70 3.57

記録

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