琴欧洲(ことおうしゅう)とは、ブルガリア共和国出身の元大相撲力士である。現在は年寄・鳴戸。
本名は安藤カロヤン。帰化前の本名はカロヤン・ステファノフ・マハリャノフ。身長203cmは当時の幕内最長身。改名前の四股名は琴欧州(読みは同じ)。ネット上での愛称は本名からカロヤン。
四つ相撲を得意とし右四つ左上手が十分の形。懐の深さを活かした外四つ両上手も得意だった。長身を生かした豪快な相撲が得意だったが大関昇進後は何故か相撲が小さくなってしまい、平幕に星を落とすことも多かった。関脇以下の力士に相性の悪い力士が多い。安美錦、豊ノ島、栃煌山、若の里、隠岐の海ら。一方で同じ欧州出身の力士は尽くはね除けており、把瑠都にさえ大きく勝ち越している。
長身と端正な顔立ちで人気を博し、「お客さんに綺麗な相撲を見せる」という美意識を持つ力士でもあった。日本でブルガリアの知名度を上げたことやブルガリアの文化を広めたことが評価され、祖国ブルガリアにおける国民栄誉賞を授与されている。
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初土俵は2002年九州場所、2004年秋場所に新入幕。幕内昇進後も敢闘賞をとるなどわずか半年で小結に。しかし、新小結で迎えた場所は大きく負け越し。
翌場所に勝ち越し小結に返り咲くと、12勝を挙げ殊勲賞を受賞し関脇昇進。2005年秋場所では初日から12連勝し最終的に13勝。横綱朝青龍との優勝決定戦に敗れ優勝は逃した。
大関昇進がかかった2005年九州場所でも11勝を挙げ、大関昇進。入門から19場所での大関昇進は年6場所が定着した1958年以降では幕下付出を除き史上最速。
大関昇進後はなかなか優勝争いに絡めず、2006年9月27日に琴欧洲に改名した。その後も苦しんだが、2008年夏場所は初日から勝ち星を伸ばし、横綱朝青龍、白鵬にも勝利し12連勝。13日目に天敵安美錦に敗れるが持ち直し、14勝1敗で初の幕内優勝を果たした。名古屋場所は綱取りの期待がかかったが、8勝7敗に終わった。
その後は再び優勝争いから遠ざかったが、2009年名古屋場所は初日から10連勝するなど13勝を挙げ、優勝争いを大きく盛り上げた。その後は優勝争いに絡めず、最高でも10勝止まりの場所が続く。それでも皆勤負け越しはなく、2012年九州場所、2013年初場所で白鵬を破っている。しかし、2013年秋場所、九州場所は場所中の故障で休場し、負け越し。8年間守って来た大関の座から陥落した。大関在位47場所は歴代4位。
2014年1月7日付で日本への帰化申請が認められ、日本国籍を取得した。これにより、親方になる為の年寄名跡の取得資格を満たし、本人が希望すれば引退後も相撲協会に関わることが出来るようになった。
2014年3月場所の途中休場後に引退届を提出。引退時点で年寄名跡は取得していないが、大関経験者は3年間現役名で協会に残れる規定を使い、琴欧洲親方として指導者の第一歩を踏み出すことになった。2015年に年寄・鳴戸を襲名した。
日本に来る前にブルガリア国立体育大学を2年次で中退しており、引退後の2015年4月に、日本体育大学に3年生から編入した。大学では指導者としてのスキルアップのためスポーツ科学などを学び、臨時で学生相撲のコーチも務めたが、協会業務との両立が難しくなったため2017年2月に退学。しかし、相撲界での貢献を称えた大学側は特別に卒業を認定した。
引退から3年間で内弟子2人を集めて、新部屋の設備も準備できたことや、大学を卒業したこともあって、2017年4月1日に佐渡ヶ嶽部屋から鳴戸部屋を独立した。
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最終更新:2024/12/27(金) 04:00
最終更新:2024/12/27(金) 03:00
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