盛岡大学附属高等学校とは岩手県盛岡市にある私立高校である。通称は「盛附(もりふ)」「盛大附属(もりだいふぞく)」。
1952年に盛岡生活学園として開校し、1958年に女子高となり、1959年にキリスト教学校教育連盟に加盟後に男女共学となる。
コースは、特別進学コース、教育系大学進学コース、進学コース、盛岡大学パートナーシップ教育コースと4つある。
ユニフォームは「盛岡大附」表記。
1995年に野球部が全国高校野球選手権大会に初出場し、以降春5回、夏11回(令和3年時点)甲子園に出場する強豪校へと成長したが、甲子園で初勝利を上げるまでに春夏通算初戦9連敗というワースト記録を樹立。しかしそこから盛り返しそれ以降は6大会連続初戦突破し通算成績も12勝16敗(共に令和3年時点)と盛り返している
因みに夏の大会初戦7連敗という記録は2位であり、1位は愛知代表の愛工大名電で夏初戦8連敗がある
| 高知商業 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 7 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 盛岡大附 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 |
[高]東出康成-山下徹
[盛]小石澤浄孝、四日市直-関口清治
| 盛岡大附 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 東 筑 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | × | 2 |
| 近 江 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 盛岡大附 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
[近]竹内和也、島脇信也、清水信之介-小森博之
[盛]千葉俊介、山下徹-佐藤貴光
| 盛岡大附 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 横 浜 | 5 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | × | 10 |
| 福井商業 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 8 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 盛岡大附 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 |
| 盛岡大附 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 明徳義塾 | 2 | 5 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | × | 15 |
[盛]三浦怜一郎、工藤優輔-小林雄輝
[明]鶴川将吾-梅田大喜
| 盛岡大附 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 駒大岩見沢 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 2 | 2 | × | 8 |
[盛]鴇田優麿、金澤龍佑、多田倫士-中村健人
[駒]板木勇幸-松本駿
この大会を最後に澤田真一監督が辞め、夏の甲子園初出場した時の正捕手・関口清治が監督に就任。
尚、この時点でチーム初出場から7大会連続初戦敗退は海星(長崎)、岩国(山口)と並んでしまった。
| 盛岡大附 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 中京大中京 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | × | 5 |
盛岡大附属_020_100_001│4
中京大中京_210_100_10X│5
[盛]高藤佑地、白石猛紘-槻館洋弥
[中]森本隼平、浅野文哉、森本隼平-磯村嘉孝
| 立正大湘南 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 盛岡大附 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 |
この大会、盛岡大附は花巻東の大谷翔平を打ち砕いて甲子園に出場したのだが、その閉会式で日本高野連第6代会長奥島孝康が「大谷君(花巻東)を見たかった」という問題発言をした。
この発言に監督を退いていた澤田真一は怒りよりも悲しさ、虚しさを覚えたという。
“言葉というものは恐ろしいものです。人の心を温める毛布にも、人の心を傷つける剃刀にもなるだと改めて感じました。(著書「甲子園の負け方教えます」より抜粋)
| 安田学園 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 盛岡大附 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1× | 4 |
[安]大金真太郎-小山新次郎
[盛]松本裕樹、及川豪-奈部川一輝
こうして盛岡大附は甲子園春夏通算10回目の出場でついに甲子園初勝利を収めた。
翌年の平成26年夏には松本裕樹を擁して優勝候補の東海大相模(神奈川)に4-3で勝利し夏の甲子園初勝利を上げると、以降は甲子園で白星を今迄が嘘のように積み重ねている。
特に平成29年には春夏連続出場し、センバツでは智辯学園(奈良)、夏の大会では作新学院(栃木)と春夏連続で前年優勝校を破るという史上初の快挙を成し遂げ、どちらもベスト8まで進出した。
その強力な打力にモノを言わせて打ち勝つ攻撃力に対し、安打のおかわりがどんどん来るという事から岩手名物の蕎麦から名を貰い「わんこそば打線」という異名が付いた。
平成31年春の大会では石岡一(茨城)相手に0-2と劣勢、9回二死迄追い詰められたがそこから執念で追いつくと延長の末にサヨナラ勝利で甲子園10勝目。
令和3年夏の選手権大会では初戦で初出場の鹿島学園(茨城)と対戦し、甲子園で初めて完封勝利(スコアは7-0)を飾り7大会連続初戦突破。"岩手県勢夏の選手権通算40勝目"に花を添えた。
掲示板
1 ななしのよっしん
2019/07/31(水) 08:35:54 ID: VhbEHrasJ5
記事建てるなら記事名盛岡大学附属高等学校にした方がいいんじゃない? まぁファンからの呼び方はほとんどモリフだけど
一関工に負けたのは残念だったな 割と毎年楽しみにしているから頑張ってほしい
2 ななしのよっしん
2019/08/16(金) 11:40:41 ID: PfKL+MaSI4
>>1
記事を立てた人じゃありませんが、正式名称に変更しました。
3 ななしのよっしん
2021/08/16(月) 20:46:02 ID: X5rTTN2eNy
甲子園初勝利を挙げてから順調だな
1つ勝てるまで重圧で硬くなっていた面もありそう
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最終更新:2025/12/06(土) 04:00
最終更新:2025/12/06(土) 04:00
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