藤田平 単語

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藤田平1947年10月19日~)とは、阪神タイガースに所属していた元プロ野球選手である。

現役時代を阪神一筋で過ごし、阪神では数少ない生え抜き2000本安打を達成した人物でもある。

概要

OB
藤田平
基本情報
出身地 和歌山県
生年 1947年10月19日
身長
体重
178 cm
80 kg
選手情報
投球・打撃 右投左打
守備位置 遊撃手一塁手
プロ入り 1965年
引退 1984年
経歴
選手歴 監督コーチ
プロ野球選手テンプレート

高校時代は3年生であった65年のの選抜において、2回戦の中商高で田嶋次郎以来41年振りとなる1試合2本塁打を放つ活躍を見せ、決勝では4試合連続完封中の平松政次を擁する岡山東商高と対戦する。
藤田平松から2安打を放ち、平松の連続完封記録ストップさせるが、チームは延長13回の闘の末1対2で敗れている。
この選抜で24打数10安打6打点という活躍を見せた藤田は当然プロから注を集め、この年のドラフトにおいて阪神タイガースから2位名を受けて阪神に入団した。

阪神の遊撃には当時「今牛若丸」と呼ばれた名手・吉田義男がいたが、藤田は1年の66年から68試合に出場し、翌年には吉田セカンドに追いやってレギュラーに定着するといきなりリーグトップの154安打を放っている。
68年は打率.240と不振に陥るが、69年には全試合に出場して打率.293復活し、リーグトップの526打数を記録しながら併殺打ゼロという記録を作っている。(2リーグ制になってから規定打席に到達して併殺打ゼロ藤田が5人

71年には自己最多となる28本塁打を放つ等阪神の中軸打者として結果を残し続け、守備でも72年から創設されたダイヤモンドグラブ賞(現:ゴールデングラブ賞)に73年、75年の遊撃手部門で選ばれている。

78年には4月30日から7月5日中日戦にて4回に佐藤政夫から空振三振を喫するまでの間、それまで小川亨記録していた180連続打席三振記録を大きく更新する208打席連続打席三振記録現在イチローが97年に記録した216連続打席三振更新されている)、この年久々に全試合出場を果たしながら、年間の三振数はわずか18三振と驚異的なバットコントロールを見せている。
一方で守備面では衰えが見えていたため、この年の後半から一塁手に転向している。

しかし79年には4月17日ヤクルト戦で捕球の際に左足の太ももを痛めてしまい、この年はわずか18試合の出場に終わる。この故障によって藤田は一時引退も考えたが、懸命なリハビリで翌80年には復帰を果たす。

そしてコーチ兼任となった81年は開幕から打率.350以上を記録するペース安打を量産し、巨人篠塚利夫と熾首位打者争いを繰り広げ、終盤には結膜炎もあって欠場することもあったが、最終的に藤田打率.358打率.357の篠塚との争いを制し初の打撃タイトルとなる首位打者及びカムバック賞を受賞した。

83年には5月3日巨人戦で三男からレフト前に落ちる安打阪神生え抜きの選手としては初めての2000安打を達成。翌84年に現役を引退した。

引退後は解説者を経て95年に阪神二軍監督となるも、オールスター後に監督であった中村勝広が休養したことで代理監督に就任し、96年には正式な監督として戦うも薄い選手層ではどうにもならず最下位となり、同年9月13日に辞任となった。

辞任後はサンテレビでの解説デイリースポーツでの評論などの活動を行なっていた。
2008年には独立リーグベースボール・チャレンジ・リーグ福井ミラクルエレファンツ初代監督に就任。野球界への恩返しという想いで熱血導を行なったが、前期・後期ともに最下位となる3位に終わり1年で退任。後の2010年監督報酬支払いをめて提訴する事態になってしまった。この件の末は明らかになっていない。

2009年には関西独立リーグの紀州レンジャーズ初代監督に招聘されるが、こちらも前期は3位、後期は最下位の4位に終わり1年で退任。

阪神時代も監督として不遇とも言える扱われ方だったが、福井も紀州も経営に難を抱えており[1]監督としての活動は何とも巡り合わせが悪いままであった。

人物・プレースタイル

現役時代はポーカーフェイス余り感情を露わにしなかったが、監督時代は管理野球と呼ばれた事もあるほど厳しく、あるいは情熱的に導にを注いだが、その高い意識に選手たちがついてこれなかったようで、95年のオフには藤田と不仲と噂された新庄剛志引退騒動(結局撤回するが)を起こしている。
阪神の選手として19年間一軍で活躍してきたが、1度も優勝日本一を経験することが出来なかった。(阪神藤田が入団する2年前の64年、藤田ユニホームを脱いだ1年後の85年にそれぞれ優勝している)

バットちょこんと担ぎ、コンパクトに振って安打を稼ぐ典的なヒットメーカーであり、上述のように連続三振記録を作ってしまうほどに三振は少ないが、四球も少なめ。
また「チャンスに弱い」というイメージを持たれており、70年代後半には得点打率が.240ほどしかない年もあったが、若手時代や81年以降は得点打率がそれ以外での打率を上回っている。 

通算成績

野手成績

通算:19年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 2010 7882 7217 854 2064 207 802 85 44 50 526 45 679 94 .286 .336

監督成績

通算:1年 試合 勝利 敗戦 引分 勝率
NPB 170 65 105 0 .382 Bクラス1回

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関連項目

脚注

  1. *福井は経営再編などを経て2018年時点で存続しているが、紀州は2013年リーグの活動自体が止まり、最終的に2017年で活動を停止した。
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