親鸞とは、鎌倉時代の僧侶である。敬称は宗祖親鸞聖人、明治天皇から見真大師という諡号が贈られている。
もとは天台僧侶として比叡山で修行していたが20年経ったころに挫折してしまい、六角堂で百日参籠をする。そのなか夢に出てきた聖徳太子からのお告げで法然のもとへ入門し、6年にわたって教学研鑽に励んだ。しかし後鳥羽上皇を怒らせてしまい専修念仏の停止命令をされたことでお互い僧籍は剥奪されて流罪となり、現在の新潟県上越市へ流される。師たる法然との再会を切に願ったが中々京都へ帰ることができず、流罪が赦免された翌年の1212年に法然は先立ちしてしまった。
1214年に親鸞は現在の茨城県稲田市を拠点に20年にわたる布教活動を行い、60代前半で京都へ帰って様々な教えを書き著して余生を過ごした。
聖徳太子の夢告というのは僧籍にあるものもセックスしてもよいというもので恵信尼という女性と結婚し子供を得ていた。血縁により強い組織を作れたことは浄土真宗の大きな特徴である。この恵信尼と結婚する前に比叡山時代の師の慈円の弟の九条兼実の娘と結婚していたという伝承もある。
群馬県にいたころ洪水に悩まされていた人たちを救おうと経文を何回も唱えようとしたことがあるが途中でやめてしまった。このように自力での修行と現世利益を否定している。
出版社では本が売れないときは親鸞ものを出すというのがセオリーになっている。日本で最も人気のある宗教家と言っていいだろう。
親鸞は特に宗派を開く気は無かったが、第3世・覚如の代から親鸞を開祖とした教団組みが行われ、のち第8世・蓮如により正式に宗派が形成された。旧暦に沿って毎年11月28日には宗祖親鸞聖人の命日法要(御正忌/御遠忌)が各本山で盛大に行われる。
通称「教行信証」。浄土三部経から引用した文章などから全6巻で構成され、第3巻「顕浄土真実行文類二」の巻末には浄土真宗の勤行に用いられる「正信念仏偈(通称:正信偈)」が記されている。なお正信念仏偈は釈迦如来と阿弥陀仏への強き信仰心をそそいだ七高僧のために著された賛詞であり、厳密にはお経ではない。
浄土和讃・高僧和讃・正像末和算の総称。それぞれお浄土の世界や高僧を讃えた詞が結集されており、節をつけて歌う。真宗高田派では個別に「皇太子聖徳奉讃」を追加して四帖和讃ともよばれる。なかでも正像末和讃に記された『恩得讃』という和讃は法要でよく詠われる。
掲示板
14 ななしのよっしん
2021/10/03(日) 22:31:53 ID: DNlSoMDXYC
俺は苦しみたくないのに苦しんでる中「あえて」悪人にならず尊い努力を重ねてるのに
悪行を行った奴が救われるなんて努力してきた俺が惨めだ絶対許せない
許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない
15 ななしのよっしん
2021/12/27(月) 21:05:08 ID: h9TIlvWCMG
歎異抄は何度読んでも新しい発見があるな
いい本だ
16 ななしのよっしん
2023/01/22(日) 08:26:45 ID: o1W3TUGbqZ
>>14
マジレスすると、悪=無力、無知(仏教、特に阿弥陀如来について知らないし、知ろうともしなかった連中)のこと。
融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗、時宗(ひっくるめて浄土教。うち融通念仏宗以外は法然とその弟子の系譜)だと、共通点は
「無知な人間でも阿弥陀如来への帰依により六道の外にある阿弥陀如来の司る世界(極楽浄土)に行けるんで、現在進行形でひたすら阿弥陀如来に感謝(南無阿弥陀仏を連呼)しろ」みたいな。
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最終更新:2024/05/12(日) 16:00
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