IBM PCとは、米国IBM社が開発、販売したパソコンのブランドである。
最初のIBM PCは1981年に発表された。
それまでのIBMの戦略とは異なり、他社からパーツを調達し、BIOSなどのソースを公開するオープンアーキテクチャー戦略を採った。汎用品で組み立てられており性能的に目立った存在ではなかったものの、IBMのブランド力と価格の安さもあって大ヒット商品となった。
その後「IBM PC/XT」「IBM PC/AT」と発展していったが、IBM PCよりも安価で高性能な「互換機」が市場に投入されたことで売上を落としていき、1987年にIBM PC系列の製品は生産を終了、これ以降はIBM PC/ATの互換機であるAT互換機がWindowsPCの主流となった。
1978年、コモドール、アタリ、アップルをはじめとする多数のパソコン会社の台頭を目の当たりにしていたIBMのプロジェクト・エンジニア、フィリップ・ドナルド・エストリッジはIBMもパソコン事業に参入すべきだと提案したが却下されていた。ただエストリッジはあきらめず、IBMもアップルに対する世間の熱狂を気にするようになり、最終的にフロリダ州ボカラトンの施設でプロジェクトを立ち上げる許可を与えた。また、新事業が本業にあまり影響を及ぼさないように、これまでの慣習を破って、必要なコンポーネントやソフトウェアを社外から調達する許可も与えた。[1]
プロジェクトはインテルのプロセッサ、マイクロソフトのOSを採用し、1981年に初代モデルである5150を発表した。先行しているアップルに追いつくため、IBMはエストリッジの進言にもとづき「きわめて非IBM的な戦略」、つまりオープンアーキテクチャー戦略を採った。市場は互換機であふれ、アップルは打撃を受けてシェアは急降下した。もっとも、IBM PCの最大の受益者はインテルとマイクロソフトだった。
1983年に発表した「IBM PC/XT」では標準搭載されていたカセットテープ・インターフェイスを廃止し、内蔵ハードディスクを標準装備とした。そして翌年の1984年には「AT互換機」のルーツとなる「IBM PC/AT」が登場した。PC/ATではインテルのi80286を採用、拡張スロットは16bitバスに拡張され、いわゆる「ISAバス(ATバス)」が誕生した。[2]
しかしIBM PCのシェアは互換機に押される形で落ち込み続け、1987年にIBM PC系列の生産は終了した。[3]
1987年に入るとIBMは、ATと互換性を持たないまったく新しいアーキテクチャ「MCA(Micro Channel Architecture)」に基づく「IBM PS/2」を発表する。サードパーティがMCA互換機を売ることは可能だったが、そのロイヤリティは大きく引き上げられていた。MCAの性能を生かすOSとしてマルチタスクOSである「OS/2」も同時に発表されていたが開発が遅れたため、引き続き使用されたMS-DOSではMCAの性能を生かすことができず、パソコン市場におけるIBMのシェアはさらに下がってしまった。[4]
マイクロソフトはOS/2のバージョン3の開発を担当していたが撤退し、独自に作り上げたWindowsがPCのOSにおける主流となり、PS/2のアーキテクチャーはキーボードやマウスのインターフェースとVGAというグラフィック規格を除いて破綻することとなった。
結局IBMはAT互換機メーカーが発展させたアーキテクチャーに迎合することとなり、新規格の策定をインテルとマイクロソフトに奪われ、2005年に中国のレノボ社にPC部門を売却することを決定してパソコン市場からは撤退している。
IBM PCはBIOSのソースコードまでも公開していたものの、これをコピーして利用することは著作権法違反であり、IBM PCの「完全な」互換機を販売することは不可能だとIBMは考えていた。しかし、コンパックはクリーンルーム設計(解析者とプログラマを完全に隔離し、出来上がったコードが偶然に元のコードと同一である場合を除き独立の著作物として認められ、元の著作権の行使を受けない)により完全互換のBIOSを完成させて、1982年11月に世界初の完全なIBM PC互換機である「Compaq Portable」を発売した。
コンパックと同様に、Phoenix Technologiesもクリーンルーム設計により互換BIOSを開発し、メーカーへの提供を始めた。これにより互換機市場に参入するメーカーが続出し、互換機がIBMのシェアを逆転するまでそう時間を要さなかった。
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