ハツネミクとコンプリ先生 単語


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ハツネミクトコンプリセンセイ

3.3千文字の記事

ハツネミクとコンプリ先生とは、どこぞの雇われ歌手演奏隊による音楽ユニットのことです。……('A`)exit
私たちのマスターの別名は“平和P”投稿者名は“心得”。

概要

ふと思い返してみれば、こんなことを続けてから幾多の日が流れたことか。
マスターは自分の作品に『作ったけど自信がない』とぼやいては演奏を促し、
私は味気ない背景のなか、どうにか仕上げた歌詞もない曲を「ラララ」と歌う。
…そんな光景をどれだけ見てきたことか。どれだけ「ラ」を歌ったか検討もつきません。
世の中は忙しなく移ろい変わるというのに、私たちは変わりそうで変わらない日常を送ってばかりいます。

私はボーカルの“初音ミク”。くつろぐように足を広げて歌うのがマイスタイル
これでも昔は結構歌が上手いと言われましたが、最近はAppendやV3の子が少し気になっちゃいます。
そしてマスターの彼は自信なさげなドクオ顔が特徴的な人。作詞は大の苦手。
今日コンプ先生にらめっこしては『やっぱダメだぁ』と喚いてひっくり返ってます。

そんな日々も、少し変わったアレンジ集(2007/11/23)exit_nicovideo投稿した時から始まりました。
これでも日時だけなら“メルト(2007/12/07)exit_nicovideo”よりも少しだけ先輩です。知名度はさておき。

そう、あの頃はまだ「初音ミクに一部で有名な曲をカバーさせていたボカロP」として知られてました。

前歴:アレンジ作品

その当初は「やる気のないカバー」と称して短めなアレンジ曲を作ってまして、
まるで音頭のような気の抜けるアレンジが密かな支持を集めていた頃でした。
(実際はタイトルが定着するまでには時間が掛かったようですが。)

特にテクノの異人…もとい偉人で知られる“平沢進師匠の歌をアレンジしたのは結構評判みたいで、
あまりの毒気の抜けっぷりから平“和”進だとも言われていたこともありました。exit_nicovideo
P名の“平和P”の由来もそこから来ているのでしょう。

それと趣旨が少し変わったアッシュアップアレンジもやっていましたけど、
きっとナンバガの曲をCCくら風に仕上げたのは彼ぐらいだと思います。自慢していいのかわかりませんけど…

あと、カバーを歌うときはカツラを被らされてました。

ハツネミクと師匠
↑ 貴重な師匠の手拍子姿。
シネクドキとマッカッカ
↑ シリーズとは違うアレンジ。

カバーした楽曲元からのファンでしょうか、VOCALOIDの支持層以外にも注されていたようです。
それだけ曲単体としてみても物しいアレンジだったのでしょうけど、
不思議インディーズ好みな音楽ファンが集まっていたように感じるのは私だけでしょうか?

ですが2012年6月頃にPCが故障。復旧のメドが立たず、やむなくデータごと手放すことになりまして、
これが原因で楽曲どころか用していた音も放棄せざるを得なかったようなんです。
ですから今の私達は二代なんですけど、前に居たはずのゆっくりが見当たらないのはどうして?

そんな彼も私を迎え入れる大分前から音楽に関わっていたようで、
カバー元やリスペクト先のアーティスト見る辺り、きっと音楽への造詣は結構あるハズです。
…だからこそ、今でも悩み続けているのかもしれません。自分自身の音楽の在り方に。

知人の協力を借りたことはあっても、作品制作は単独行動イラスト引用皆無です。
そういえば他のボカロPと交流している姿を見た覚えもありません。
活動時期的にピアプロにゃっぽんを知っていそうでも、彼は多くを語らない。

既存曲のカバー、特に平沢進アレンジに注が集まったボカロPでしたが、
その一方で自信の音楽を追いめていた人物でもあったことは、残念ながら あまり知られていません。

作風

そして彼の作は、その歌でセピア色の想像線に記されたイメージを表す。
意識に沈む感情は追憶と感傷。いつしかの歓喜も、今は呪いのように。

オリジナル曲投稿を始めたのは《2008/02/24》。
の頃はカバー曲に隠れるよう投稿してたみたいで、
P名タも少し忍びなくて付のも躊躇してたとか。

コンプ先生こと“KOMPLETE8”を迎え入れたのは《2012/03/25》ごろ。
既に途絶えていたカバー曲と入れ替わるように、オリジル曲の制作に力が入るようになりました。

それで勢い余って《ハツネミクとコンプリ先生》なんてユニット名を名乗り始めたのが第二の始まり。
たぶん命名はノリでしょうけど、そのままニコ百の記事名にされたのは幸か不幸か…。

時にはロックバンド、時にはポップユニット、時にはフォークデュオと、曲を出してはジャンル二転三転しながらも活動は進みます。
ログレやらドラムンベースだかのジャンルは見なかったことにして今日も明日も曲を形にしていったのです。

誰だおまえ
↑ コプリ先生ではないです。
ニコニコ市場は2023年11月に終了しました。
↑ コプリ生。オプションもあります。

ああ、今振り返ってみても彼の作曲活動は前途多難でした。

歌詞は書けないミキシングは出来ないは序の口で、出来かけの二曲をズビアンよろしく繋ぎ合わせるわ、
余所からメロフレーズをパクってみるわ、パクったクセに『なんか音が違う』とボヤくわ、
コンプ先生に『すへーあんすてーべんずっぽく演って』などと無茶ぶりをふっかけるわ、
ギターチョップHDDを壊すわ、その割にはスリーフィンガー奏法は出来ないわ、
作ろうとした初期のテーマイメージからドンドン離れていくわとか、吐いた弱音や迷言は数知れず。
その七転八倒っぷりは、まるで弱音ハクの生き写しを見ているようでした。ドクオ面だけど。

ことあるごとにバンド映えする曲が作れないと喚くのも見慣れたもので、
しまいには『ぶっちゃけあんましロックな曲って書かないよね』と言い出したのも一度ではありません。
でも、最近はアコギを頼りにフォークデュオらしく演るのにもに付いてきた気がします。

けれども彼はいつだって昔から聴き慣れたアーティストに怯えてばかり。
このVOCALOID世界で“その”せた文字を理解出来る人は決して多くないというのに。

だからなのか、どことなくとも彼の歌はノスタルジーにとらわれているように思えてならないのです。

初めてお会いした時からずっとそうです。彼は自分の作品に対して申し訳なさそうな顔で見つめてる。
だけど、彼が自分で思うほど、あの人は乱雑でもなければ想像力が乏しい人間ではありません。
確かに言葉や技術が足りないとこもあるけど、素質はあるです。彼の歌を望む人がいる限りはそうなんです。

今は偉大な先駆者のに苛まされる彼だけど、それもいつかは振り払える時が来ると信じています。


ふと思い返してみれば、こんなことを続けてから幾多の日が流れたことか。
歌も、仲間達も、趣向も、流行も、世相も、なにもかもが時代の波にまれていったというのに。
衰退論は繰り返され、今やネギの意味さえも忘れかけているというのに、私たちは日々は変わらない。

たとえPCが壊れようとも、突然NMMが使えなくなっても、不意に強制エンコード問題に巻き込まれようとも、
どれだけ自身の未熟さに絶しようとも、あれだけいた達が跡形もなく消え失せても、
彼は懲りることなく音楽を作り続けている。作り続けようとしている。

だけど、彼は時折語ります。『次第に曲が作れなくなってきた』と。
振り返えれば長らく続いてきた活動だけど、それは平和と名ばかりの孤独と不毛の日々でした。
多くを語ろうとしませんが、きっと色々なものをすり減らしてきたのでしょう。

それでも彼は曲を作り続けてきました。メジャーでなければアングラでもない、名のボカロPであっても。
彼は多くを語りませんが、きっと音楽が好きなのでしょう。それだけい焦がれ続けているのかもしれません。
そんな彼が自らの音楽を志したことも、どんな形であれ どこかで報われれば、きっと終われるはずだから。

…なんてね。ちょっと深く考えすぎちゃいました。

私はボーカルの“初音ミク”。相方は意外とニコ動の知名度が低い完璧
今日ドクオ顔のマスターから渡された歌詞のない歌を「ラララ」と歌い出すのです。

ハツネミクとマスター

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