なるほど!ザ・ワールドとは、1981年~1996年にフジテレビ系で放送された伝説のクイズ番組である。
概要
全世界から様々な風習や風俗を現地まで行って取材し、それを元にクイズを出題する番組。
それまでのクイズ番組とは桁違いの予算や手間を惜しみなく投じ、15年に渡る長寿人気番組となった。
莫大な費用と手間をかけて完成した取材VTRを、プロデューサーが「イマイチだったから」という理由だけで全編を没にしたという逸話まである。
1980年代~1990年代前半のフジテレビを代表する番組となり、春と秋の番組改編期にはフジテレビの各番組が一堂に集結しクイズで競う「なるほど!ザ・春(秋)の祭典スペシャル」という派生番組まで生まれた。
特に1994年の秋の祭典では、現在でも共演機会がほとんど無いとんねるずとダウンタウンが共演。数少ない共演番組として、お笑いファンの間では現在でも語り草となっている。
番組開始までの経緯
元々、フジテレビでは帯番組である「スター千一夜」というトーク番組を1959年の開局以来放送していた。「この番組に出れれば芸能人として一人前」とまで言われた人気番組であったのだが、1969年秋以降は月~土の19:45~20:00に放送されており、月~土19:30~19:45の帯クイズ番組の枠(1970年春から「クイズグランプリ」)も含め、7時台後半に帯番組が2つ編成されているのは番組編成上の大きな障害となりつつあった(なお、土曜の放送は1974年に終了している)。
そこで、フジテレビ側が「スター千一夜」の一社提供スポンサーであった旭化成グループに、「千一夜」の番組終了とその代替番組の立ち上げを提案。長きに渡る交渉の末、1981年9月に「千一夜」を終了させることとなった。同時に19:30からの帯クイズ番組(最後は「逆転!クイズジャック」)も終了し、7時台後半の帯番組を解消した。
この「千一夜」の代替番組となったのが「なるほど!ザ・ワールド」である。
ちなみに、「なるほど」開始以前の火曜日ゴールデンタイムの編成は20時から「火曜ワイドスペシャル」、21時30分から「ミュージックフェア」という編成であった。「なるほど」開始と共に「火曜ワイドスペシャル」を30分繰り上げ19時30分開始、「ミュージックフェア」を木曜日に移動し、火曜日21時を新たに1時間枠として確保して「なるほど」がスタートした。
旭化成グループはフジテレビ開局以来の大スポンサーであったと共に、フジテレビ側の都合で「千一夜」を終わらせたという経緯もあるため、「なるほど」は絶対成功させなければならない番組であった。そのため、社運を賭けて大々的に立ち上げられ、当時のエース級のスタッフが惜しげもなく投入された。
旭化成側の多大なる協力もあり、このような大規模なワールドロケクイズ番組が生まれた。
旭化成グループの完全一社提供番組のため、CMもサランラップ、ヘーベルハウスなど、旭化成グループ各社の商品のみ放送されていた。エンディングでは、スタッフロールの後に続けて旭化成グループ全社のロールが流れて番組を終了していた。
また、スタジオの観客はどのチームが勝つかをあらかじめ予想し、それぞれの席に着席して観覧するというシステムであった。予想が当たった観客にはやや高額な旭化成製品(新製品が多い)、はずれた観客にもサランラップがおみやげとしてプレゼントされていた。
主な出演者
司会は、すでに「11PM」(日本テレビ)などで人気司会者となっていた愛川欽也と、番組開始当時日本テレビを退社したばかりの人気アナウンサーだった楠田枝里子。
背の低い愛川と女性としては長身の楠田との身長差が大きかったため、画面映えの関係で司会者席では愛川が踏み台に乗り、楠田は足の長い椅子に着席し身長を合わせて番組進行をしていた。
取材VTRでは数多くの人気タレントやアナウンサーがレポートを行った。
特に番組開始当初は『ひょうきん由美』ことフジテレビの益田由美アナウンサーが人気を博し、彼女が「なるほど」を人気番組に押し上げたきっかけを作ったとまで言われている。折しもフジテレビは女子アナウンサーを正式採用した頃であり(これまでも女子アナはいたが契約扱いであった)、女子アナブームの火付け役ともなった。番組担当当時の益田アナのパスポートは入国スタンプを押す欄が足りず、スタンプの上にスタンプが大量に押されていた状態になったという。
それまでの番組はNGシーンを公にするのは御法度とされていたが、この番組では益田アナのトチリ、NGがよく放送され視聴者の笑いを誘っていた。中国ロケで西遊記の孫悟空のコスプレをし、頭上で如意棒をぐるぐると回すシーンで手元が狂い、頭に如意棒が綺麗にヒットしたNGシーンは特に有名である。益田アナは過労が原因で番組を降板するが、番組初期~中期を支えた偉大な存在である。
その他、ドリフターズのいかりや長介がアフリカ奥地の原住民族に取材に行く「長さんの里帰りシリーズ」も評判となり、顔がゴリラ顔のいかりやがプライベートでも頻繁に旅行するほどアフリカに興味を抱くきっかけを作ることとなった。
ロケ映像に登場した超人やびっくり人間、凄い技術を持った人がスタジオに登場し、実演する事もあった。特に日本に近い韓国や中国、東南アジアの人達が多かった。
(タイからやってきた野菜炒めを飛ばして皿に盛りつける芸は有名。1回目は失敗して照明に野菜がひっかかったが、再来日して挑んだ2回目は見事に成功した)
番組中期以降からは優勝チームの景品獲得ゲームとして覆面マジシャンのトランプマンも登場。『華麗なトランプマジックを行う、全く喋らない謎のマジシャン』という設定だったのだが、比較的頻繁にマジックをトチり思わず声を小声で発してしまい出演者からツッコまれるなどのドジっ子キャラであったことや、その風貌がタモリに似ていることから「トランプマン=タモリ説」が浮上するなどの出来事により逆に人気を博し、中期以降の名物キャラクターとなった。
番組の終焉と復活版
15年という長きに渡って人気番組となった「なるほど」だが、1994年にスタートした裏番組「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京)が大ヒットしたのをきっかけに急激に人気が低下する。
それまで二人一組だった解答者を一人にするなどテコ入れを行ったが、「鑑定団」によって派生したお宝ブームという逆風もあり改善しなかった。
1996年に3時間半にも及ぶ総集編の最終回スペシャルを放送し惜しまれつつ終了した。なお、最終盤に使用された個人戦用の1~5番席の解答席は視聴者プレゼントされた。
番組終了後も人気があり、1997年と2004年以降に不定期で番組が復活している。
なお、2004年以降の復活版は司会者が爆笑問題(2004年~2008年)、有吉弘行・滝川クリステル(2015年)にバトンタッチされている。
この番組のヒットを機に、「世界まるごとHOWマッチ」「クイズところ変れば」「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」と世界各地や日本国内の変わった風習などを紹介するクイズ番組が多数生まれることとなった。
基本ルール
番組初期~後期の基本ルールは以下の通り
第1問は席決めの近似値クイズ(トランプマン登場以降は手品ゲーム)で近い順から1番席~4番席に着席する。
第2問以降は海外特集(もしくは国内特集)からのVTR出題。愛川が1番席から順番に回答を聞いていく。
回答は口答形式、制限時間が決められており、時間が無くなるとブザーが鳴る。最後まで正解が出なければ愛川がテーブルを叩き、「×」印のランプが点灯し2番席へ。
これを正解が出るまで4番席まで行う、正解すると2番席~4番席のチームは1段上の席へ交代。1番席のチームが正解すると1万円分の図書券(のちに商品券)がプレゼントされた。なんとか愛川からヒントを貰おうとすがったり、机を叩こうとする愛川を必死で制止したり、ブザーが鳴り焦ってとんでもない答えを口走ってスタジオを爆笑の渦に巻き込むところが大きな見所であった。
ラスト2問は「ジャンピングチャンス」で4番席から解答権が与えられる。正解すると2段階アップする。最終問題(大ラス)は「恋人選び」、日本の有名人8人からインタビューを受けた外国人(週によって人種、年齢、性別は様々)が選んだ恋人にしたい人を当てる。不正解の場合、スタジオに用意された8人の顔写真が消灯するため、不正解だと愛川は「はい消えた!」と言い机を叩いた。
最終的に1番席に座っていたチームが優勝。豪華賞品獲得をかけて初期は「なるほどボックス」。トランプマン登場以降は3個のカップの何処にボールが入ったかを当てるなどの手品ゲームで賞品が決まった。
番組後期ごろから早押しクイズやフリップに答えを書く問題(書き問題)等を導入しはじめ、「ジャンピングチャンス」の大ラスも「クイズ8合わせ」や「八者択一」などクイズ形式が多岐にわたるようになった。特に書き問題は出題時点の並びの序列を基本に正解チームから順に1番席に上がる形式だったため、もし4番席しか正解していない場合は一気にそのチームが1番席に上がるケースもあり得た。
関連動画
初代番組テーマ曲であるトランプスの「トランプス・ディスコテーマ」を用いた動画が多い。
関連商品
関連項目
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